新書「群島の文明と大陸の文明」を読了
日本人論はいろいろな人がいろいろな書物等で展開していますが
著者の言い分では日本人vs西洋、日本人vs大陸との比較ではあまり意味がなく、
(以下引用)
文明的・文化的・思想的に日本にもっとも近いのは、朝鮮半島です。ですから、正確にい
えば、朝鮮半島との厳密な比較をしたうえでなければ、「日本の特殊性」は確定できないこ
とになります。 (引用終わり)
と書いていて、故に前述のように群島と半島の比較をしています。
なのにこの本のタイトルは群島と大陸の比較のようになってますから最初は混乱しますね。
まぁ、著者の中では半島も群島的であり同様に大陸の影響を受け続けていたわけで
それにも関わらず群島と半島とが同じでない所があるとするならば
それこそが群島=日本に特有な特徴や文化だということになるようです。
ちなみに、著者はこれらの比較論考の時にはナショナリズムを排さなくてはならないと
まぁある意味当然のことを書いてますが、このブログでこのような内容を書くと
なんらかの思想や主義の方々が反応するかもしれないので、
ボクも同様にナショナリズムを排して特定の国家や民族という枠組みではなく
単にその地域の多様性の中の「まとまり」を認識するというスタンスを確かめておきましょう。
そして、著者は、群島文明というものを次のようにとらえています。
(以下引用)
それは帰納的(反演繹的)思考、経験主義(反理念・反理性主義)、そして反超越主義……
などによって規定されるものです。 (引用終わり)
それに対して、
(以下引用)
大陸文明は、普遍主義・理念主義・本質主義・超越主義などを基盤とせざるをえない傾向
を持ちます。 (引用終わり)
それとともに、群島は〈アニミズム〉であると〈〉付で表現しています。 (以下引用)
わたしのアニメズムについての考え方は、これまでの学説とは異なっています。一般にア
ニミズムとは、「森羅万象すべてのものに生命(霊的存在)が宿っている」という考えだと
思われています。しかしわたしは逆に、「生命とは普遍的な現象ではない、と考えるのがア
ニミズムである」と規定するのです。 (中略)
では〈アニミズム〉とはどういうものなのでしょうか。このものが「生きている」のか
「生きていない」のかは一概にはわからない。つまり「普遍的な定義」によって生命を規定
することはできない、だから共同体のみんなの感性で決めていきましょう、というのが〈ア
ニミズム〉の世界観であるとわたしは考えているのです。 (中略)
だから、日本的〈アニミズム〉は一見、自然に見えるけれども実は、非常に人工的なので
す。
日本的〈アニミズム〉では、権力者が上から演繹的にものごとを決めるわけではありませ
ん。共同体の構成員が集まって帰納的に話し合いながら決めます。 (引用終わり)
なんとなく言わんとしているところは分からないではないですけどなかなか難しいですね。
よーくかみしめながら読み進めないとチンプンカンプンになりそうな展開です。
さらに、次のように「生命」は三つある、といわれると混乱しそうです。
(以下引用)
〈第一の生命〉=生物学的生命、肉体的生命
〈第二の生命〉=霊的生命
〈第三の生命〉=美的生命
別の言葉でいうと、次のようになります。
〈第一の生命〉=個別的生命、客観的生命、相対的生命、物質的生命
〈第二の生命〉=普遍的生命、絶対的生命、宗教(精神)的生命、非物質的生命、集団的生命
〈第三の生命〉=間主観的生命、偶発的生命、〈あいだ〉的生命 (引用終わり)
なはは、なかなか難しいし考えさせられる内容となってます。
まぁでも結局は群島は〈アニミズム〉であり〈第三の生命〉を尊ぶ文明であると。
そしてなんとなしに著者はそれを良しとしているような書きっぷりですが……
まぁでも確かになんとなくそれに納得・賛同できないこともないかなとも思えます。
ただし、以下の内容はちょっとアレレってな違和感があって納得しかねる部分です。
(以下引用) 日本では天照
大神つまり女神が、信仰の中心の位置からはずれませんでした。これはおそらく、日本では
太陽への憧れ、つまり永遠なる〈第二の生命〉への憧れが、男性中心的な世界観への完全移
行には進まなかったことを意味すると思います。 (引用終わり)
天照大神が本当に女神であったのかどうか怪しいですし記紀の記述も怪しいですし
そもそも天照大神は天皇家の祖先神であり古代から群島の民が誰でも崇める神ではなかったはずですし。
だからといって、男性中心的な世界観が良いとかいいたいわけではもちろんないのですが。
このような難しい考え方・視点で捉えて議論が進ん活き
最後の方では資本主義・共産主義などについても話がおよび
さらには「コロナ禍以後の世界」についても話が展開されていきます。
少々長くなりますが面白そうなところを紹介してみましょう。
(以下引用)
結局、中国の「速さ」には勝てないのです。なぜなら資本主義は速さと量で勝負
する思想であるのに対し、民主主義は遅さと質で勝負する思想だからです。ヨーロッパとア
メリカだけでなく、民主主義国は、トップダウンの中国の「速さ」に勝てないと見なくては
なりません。 (中略)
つまり、「影響力のある国家」というのは、個別的な軍事的パワーつまり〈第一の生命〉
も、普遍的な理念的パワーつまり〈第二の生命〉も、そして相手を惹きつける〈あいだ〉の
パワーつまり〈第三の生命〉も、すべて強大に具えている主権国家のことをいうのです。(中略)
いまは日本人の多くが中国の習近平政権に対して好感を持っていませんが、中国が今後ソ
フト・パワー戦略をもっと洗練されたかたちで推進し(いまでも「孔子学院」という洗練され
ていないかたちでいろいろやってますが)、相手を「惹きつける」〈第三の生命〉の力を強め
た場合、この国が強大な「影響力のある国家」になる可能性もあるのです。 (中略)
トランプ大統領という(中略)大統領によって、米国が築き上げてきた〈第二の生命〉つ
まり自由と民主主義の力は極度に劣化したわけです。このような状況のなかで、米国という
個別的存在者の軍事的パワーつまり〈第一の生命〉のみを強調したところで、魅力はありま
せん。しかし米国の強いところは、なんといってもその文化つまり相手を惹きつける〈第三
の生命〉がいまだに圧倒的にパワフルである点にあります。 (引用終わり)
日本の役割なども書かれていますが最終的には「東アジアで共創していきましょう」
という提言で締めくくられています。
まぁなかなか難しいことでしょうけどね。
| 固定リンク
コメント