新書「日韓がタブーにする半島の歴史」を読了
この本は2010年4月発行ですからもう10年以上も前で少々古臭い内容となっています。
おそらくブックオフで中古本を格安で購入したのだと思います。
一部に鉛筆で傍線が入ってましたから。
ちなみにボクは今はフリクションボールペンの赤で傍線入れてます。
以前はあまり傍線や書き込みなどしなかったのですが
ブログ記事で扱うには書き込んだ方があとで楽ですから。。。
この本の序章には以下のように書かれています。
(以下引用)
古代、日本列島の倭人は、朝鮮半島の人民から、稲作をはじめとする様々な先進文化
を教えられることにより、国の基礎をつくり発展させてきた――日本人の“常識中の常
識”だろう。 (中略)
しかし私はいま、天皇のこの「お言葉」に象徴される“常識”に異議を唱えたい。
倭人は半島の民族から様々なことを教えられたどころか、半島に初めて統一国家を築
く新羅の基礎づくりを指導したのは、実は倭人・倭種であり、新羅も百済も倭国のこと
を“文化大国”として敬仰していたのだ――と。 (中略)
くれぐれも誤解がないように確認しておく。『古事記』『日本書紀』など、日本の古史
書の記述内容を、国粋主義的な視点から解析していけば、そういう結論になると言うの
ではない。
半島で、半島の史官が、半島の王の命令を受け、半島の王朝と人民のために編算した
半島の正史に、そうした内容が書いてあるのだ。 (引用終わり)
と著者はわざわざ「国粋主義的でない」と宣言しているみたいですし
内容的には確かに事実を調査して裏取りしてきちんと書いているのでしょうけど
表現の仕方というか書きっぷりは十分に国粋主義的になってしまっているなと感じましたね。
個人的にはもっと事実だけを淡々と書いてくれた方が興味が持てたんですけど。
それに、今や古代に列島のどこかの国が半島にも権力基盤を及ぼしていたことは事実とされてますし
だからといって大陸から半島経由で様々な文化・技術がもたらされたことも事実でしょうし、
もちろん列島から半島に影響したものも多数あるでしょうし
大陸と列島で直にやりとりしたものもあるでしょうし、
だからどちらが、どこが上位/下位というものでもないと思うんですよね。
そもそも、集権化や文明化が上位でそうでない地域・民族が下位だみたいな発想そのものが
中華思想的でまた欧米白人の思考の枠組みでしかないように感じますから。
そのくせ、著者は平気で「倭人・倭国」という言葉を使っているのが少々納得いかないですね。
だって、“倭”は大陸側が使った蔑称でしょうから。日本人が自ら好んで使う言葉じゃないはずです。
蔑称でなかったという意見もあるでしょうが、大陸側が周辺国を指す言葉すべて蔑称でしたから
日本にだけ別格で敬称を使うなんてあり得ませんからね。
ちょっと面白いなと思ったことは、
(以下引用)
『三国志・東夷伝』の中にも、倭人に関しては『倭水人好沈没捕魚蛤』〈倭の海辺の
人々は水に潜って魚や蛤を上手に取る〉とある。しかし、東夷の他の諸族に関する記述
を見ても、僅かに『東沃沮伝』に、高句麗に貢いでいた品々の中に「魚、塩、海中食
物」とあるだけで、漁業そのものは全く出てこない。 (中略)
初期新羅の主民族も、現在の慶州市中心部ではなく、そこを取り囲む山間の盆地に住
んでいた。海辺や低地は彼らが住む場所ではなかったのだ。 (引用終わり)
つまりは倭人、いややまと人は海民だったということですね。
もちろん列島に住む人がすべて海民だったということではないですが
少なくとも半島や大陸まで往来するような人は海民だったということでしょう。
そして、海民にしてみれば当時は国という概念もないわけですから
半島南部沿岸に彼らが頻繁に往来しあるいはそこを拠点にしていてもなんらおかしくはないわけです。
ましてやそこで鉄が採れるとなれば。
ただ、著者は稲作も列島から半島に伝えられたのではないかとしていますが
そこはどうなんでしょうかねぇ。
海民が往来し海賊的に武力も秀でて鉄器も抑えていたとしても
所詮は海民ですからさほど稲作に精通していたとは思えませんし
海民が稲作技術者・土木技術者などを乗せて半島まで行くことは少々不自然です。
やはり、政治難民みたいな人々が半島や大陸から列島に逃げてきて
稲作技術を充実させたと考える方が自然な流れではないかと思いますね。
DNA解析でも現代日本人の多くが大陸・半島由来だというのと整合するでしょうし。
まぁこのあたりも含めてもう少し冷静な分析が必要なのでしょうね。
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