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新書「金融権力 ―グローバル経済とリスク・ビジネス」を読了

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岩波新書の「金融権力――グローバル経済とリスク・ビジネス」本山美彦著を読みました。
なお著者の本山氏は京都大学名誉教授の経済学者ということだそうです。

経済についての本ですが、2008年3月に書かれたものですから少々古い内容となっています。
2007年のサブプライムローン問題からの金融危機・経済危機についてを主に論じていて
この後に起きたのリーマンショックまでの途中経過の時点で書かれた本ということになります。

サブプライムローン問題もリーマンショックももう既に過去の出来事となっていて
今やアフター・コロナの世界がどうなるかということが経済では主題になってくるのかと思いますが、
それでもリーマンショックのような危機が将来的に再発しないとは言い切れないでしょうし
金融権力はますます絶大となっていると感じますから今さらながらでも読んでおく意味はあるでしょう。

 

では、「金融権力」とは何なのか?本書のプロローグには以下のように書かれています。(以下引用)

 しかし、金融複合体は金融を、社会的に必要なものを作り出す「しもべ」ではなく、金儲け
をするための最高の「切り札」に位置づけてしまった。その結果、自由化の名の下に、人々の
金銭的欲望を解放してしまう金融システムが作り出されてしまった。カネがカネを生むシステ
ムがそれである。そうした金融システムが、現在、「金融権力」として猛威を奮っている。
 例えば、「レーティング・エージェンシー」という組織がある。この組織が、金融権力の一
端を構成する巨大な力をもっている。      (中略)
   企業は、命令されたわけでもないのに、彼らの意向に沿うように行動してしまう。そう
いう意味において、この組織は構造的権力である。本書で使用する「金融権力」とは、正確に
は、「金融という構造的権力」を意味している。               (引用終わり)

 

そして、サブプライムローン問題ってボクはもやっとしか理解してませんでしたが、(以下引用)

 サブプライムとは、二級のものを指し、一流のプライムに比べて一段低いものという意味で
ある。つまり、サブプライムローンとは信用度が低いので、かなり高い金利を取る貸付のこと
である。これは高利貸しである。具体的には信用力の低い低所得者層向けの住宅融資を指して
いる。                                  (引用終わり)

そして、この信用度の低い融資、つまりハイリスクのものを証券化して見えなくして
リスクを転売してローリスク・ハイリターンかのような金融商品として投資家に販売されたわけです。
それが露呈し格付け会社が一気に格下げして市場がパニックになったのがサブプライムローン問題です。

これは本来ならアメリカでの問題だったはずですが、              (以下引用)

 これは、低金利の円を借りて別の通貨に転換し、それを株や為替市場で運用するという「円
キャリー取引」の逆転が生じたことを意味している。借りた円を返すべく、円買いが進行して
いたのである。つまり、円を借りて、国際金融市場で運用する場がなくなったので、とりあえ
ず円は返却しておこうというのが、このサブプライムローン危機の中での円高なのであって、
けっして日本経済の先行きを楽観することから生じた円高ではない。      (引用終わり)

日本が低金利政策をとっていたのでサブプライムローン問題で急激な円高になったんですね。
アメリカでのスバルの顧客は教師・医者・技術者など比較的堅実な職業の人が多いとされ
サブプライムローン問題が直接アメリカでのスバル車販売に及ぼす影響は少なかったですが
急激な円高は輸出産業としてはかなりの痛手になったのでそちらはよく覚えています。
ただ、サブプライムローン問題と円高との関係については当時は理解できてなかったですね。

 

そして、金融の歴史・変質を語る章ではこのように書かれています。       (以下引用)

 労せずして大金をつかみたいという人間の欲望が、「賭」(ギャンブル)を生み出す。
 その究極の姿が、金融ゲームである。それは、国家をも破産させるとてつもない暴力をふる
う。         (中略)
 ところが、現代社会の金融ゲームは、ギャンブルに参加していない市民にも、例えば石油投
機による灯油価格の異常な高騰という形で被害を与えている。社会全体がギャンブル場になっ
てしまうとともに、市民が、ギャンブルの最終的なツケを払わされているのである。(引用終わり)

また、「金融権力に抗するために」という最終章でもこのように書かれています。(以下引用)

 「お金儲けは悪いことですか?」と尋ねられたらこう答えよう。「悪いことです。人を威嚇す
る方法で得たあなたの巨額の儲けの陰で、無数の人々が路頭に放り出された」と。(引用終わり)

個人名は出していませんが、「お金儲けは悪いことですか?」は誰の言葉かお分かりですよね。
村〇氏にせよ、堀〇氏にせよ、称賛する人もいるでしょうけど、ボクは彼らを軽蔑しています。
その意味でも本書に書かれていることはまさに我が意を得たりという気持ちになります。
個人のささやかな投資であったとしてもやはりギャンブルに通じるものだと考えているので
その点でも賛同するような内容ですね。さらに続いて、            (以下引用)

       今日、栄耀栄華の生活を送っている人々の職業を見れば、もっとも端的にそれ
が分かるであろう。一攫千金のチャンスを生かした人々の中に、何万人の人員を雇用している
「モノ作り」の経営者はいるであろうか。あくどい金融を生業とし、人の射幸心をあおって、
巨額のあぶく銭をせしめる業種の経営者に金持ちが集中している。      (引用終わり)

まぁこう書かれると金融業などを批判しているというより
逆説的に現代では楽して儲けるには金融業・投機家に限るとも聞こえてしまいますが、
でも個人的には現役時代はモノ作りの仕事をしてあくどい金融に無縁だったことを誇りに思いますね。
まぁ経営者でもなんでもない一介のサラリーマンでしたけど(汗)

 

また、別の視点では「経済学」というものについて書かれていて、これも興味深かったです。
というのも、経済学というと数式・数学・理論が出てくるのですが
経済学者である著者自らが次のように書いているからです。          (以下引用)

 人間生活を扱う経済学は、不完全性を克服できてはいないが、歴史的時間の経過に従わなけ
ればならない。経済学では、物事が「なぜ起こったのか」を問うことを任務としている。つま
り、実現した結果を引き起こした原因を探るのが経済学の大きな任務である。
           (中略)            経済学は、自然科学の模倣をしよ
うとしてきた。自然科学、とくに物理学に近づくために、それほど変化しない係数を選んでき
た。  (中略)     つまり、経済学は数理的科学の一端に位置づけられる以上に、歴
史学の一端に位置づけられるべきものである。                
(引用終わり)

経済学の誰かがある理論を提唱してもそれを市場で実験することも証明することもできないので
結局のところは数学や物理のような理系科学とは異質なものであるということなのでしょう。
経済学者自身がこう書くと説得力がありますね。

そして、上記のようなことから「ノーベル経済学賞」についても批判されています。
そもそもノーベル経済学賞は正確にはノーベル賞ではないことを初めて知りました。(以下引用)

 しかし、「ノーベル経済学賞」だけは、正確に言えば、ノーベル賞ではない。スウェーデン
国立銀行が、一九六八年、設立三〇〇周年を機に、ノーベルを偲んで設立した賞であり、正式
には「アルフレッド・ノーベルを記念するスウェーデン国立銀行による経済科学賞」という。
この「経済科学」という言葉が当時でも物議を醸した。            (引用終わり)

そうだったんですね。
そして、アメリカの金融権力などがご用達経済学者たちに自分たちが儲かる経済理論を発表させ
それらの権威づけのためにノーベル経済学賞が利用されるのだと……

きな臭すぎて嫌になりますね。

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