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79V開発の頃に昇格試験のお受験をした

前回の記事までで44S(2代目インプレッサ)の操安乗り心地開発途中までのことを書きました。
その時点ではサンバー・ドミンゴ系および33E(富士重工製最終サンバー)開発は後任に委ねたけど
まだ併行して72F(初代フォレスターのビックマイチェン)もやっていたわけですが
それも含めて途中で異動することになってしまったので、どれも中途半端で離れることになりました。

その異動のことを書く前に、少しその布石というかステップにもなった
昇格試験についての記事を書いておこうと思います。

 

ボクがサラリーマン時代に勤めていた富士重工(現SUBARU)には2段階の昇格試験がありました。
もちろん、資格等級が3段階しかないという意味ではなく試験をする節目が2つあるという意味です。
その節目となるのは、1つ目が一般的な企業でいうと係長クラスに昇進できる資格(主事)への時で
2つ目がこれまた一般的な企業でいうと課長クラスに昇進できる資格=職制への時です。
ですから前者を主事試験、後者を職制試験などとも呼んでいました。
資格と職位(係長、課長など)は別物ですが、資格が達していなければ職位には就けません。

その2つの節目以外の昇格は上司の人事考課などから最終的に人事部で判断されて決定されます。
まぁ入社後数年は勤続年数が目安になって、つまりは同期はほとんど横並びで昇格していきます。
ですからある程度は年功序列的というか勤続年数序列で資格等級が決まるところがあります。
もちろん、高卒・大卒とか中途採用とかでスタートラインが違うところはありますが、
個人的には高卒や中途が不利になるというほどではなかったのかなと感じていました。

もっとも、制度的にはそういう格差はなかったというだけで
人事考課する上司に学歴等のバイアスが掛かってると正当に評価されないということもあり得ますから
部署によっては、人によってはそのような格差や障壁を感じていたかもしれません。
もちろん、ボクはそんなバイアスなしで考課したし、周りの管理職の人でもそんな人はいませんでしたけど。

それに、「俺は高卒だから……」「俺は中途だから……」などといつも口にしている人を見てると
確かに目の前の仕事はしっかりこなしても全体像を見渡したり将来を見越すなどの能力は不足している
と感じる人が多かった印象がありますね。
というかそのようなグチを口にする人は滅多にいませんでしたけど。

学歴に対してもその程度のことであったので、出身校などのよる格差もまったくありませんでした。
日大や早大みたいにやたらと出身者が多い大学ではOB会みたいなのがあったようで、
確かにそういう場で顔が売れればなんらかの有利に働くという部分はあったのかもしれませんし
実はボクがそういうのに無頓着だっただけで地中では何かがうごめいていたのかもしれませんが(汗)

ちなみに、ボクの出身大学の先輩は30年以上前にいたらしいというくらい珍しく
後輩も数名しかいませんでしたので当然ながらOB会とかもなく
たとえその後輩に会ってもその件に触れることもなかったですね。
(先輩風を吹かせていると思われたくないですし……)

さらに脱線すると、出身県によっては県人会みたいなものも社内にはあったようですが
これまた愛知県出身者のボクにはまったくもって無縁でしたから
そのような会とは無縁なサラリーマンでした。
というか、会社・仕事とは無関係に出身校とか出身県とかで徒党を組んで群れるというのが
大嫌いなボクですから、そういうのと無関係な身であることに感謝してましたしね。

話を戻しますが、このように制度的に格差はなかったということは、逆に言えば入社した時から
あるにはその直後の早い段階で将来の会社の幹部を担うべきエリート人材の選別や
帝王学とも言えるようなそんな教育はまったくなされないということです。
幹部どころか中間管理職であってもそれに向けた特別な教育はなされていません。
単にエンジニアとして入社してOJTでエンジニアとして時としてメカニックとして訓練され
だれかれとなくなんとなく人によって処世術として管理職的要素も身に着けていくという形です。

まぁ、もっとも当時は日産の子会社、興銀のお荷物みたいな存在の富士重工でしたから
生え抜き社員が幹部になって活躍するなんてのも考えてもいなかったでしょうし
その下の中間管理職の人間でもある程度は似たようなもので
それに応じた特別な若い時からの教育が必要だとも認識してなかったのでしょうね。



さて、タイトルに書いているように、79V(初代スバル・フォレスター)の操安乗り心地開発の頃に
さらに言えば33Eや44Sの操安乗り心地開発も兼務している頃に
ボクは1段階目の昇格試験=主事試験を受けることになりました。
まぁ同期で入社した実験や設計などの部署の人間はほぼ同じ年に主事試験を受けるような感じでした。
もちろん、そうでない人も、辞退する人もいたし、逆に部門によってはもっと早く昇格する人もいました。
そう、日本では、スバルではエンジニアって冷遇されていて営業とかの方が早く出世するようでしたね。

その主事試験は最初に筆記試験と論文試験があって、後日面接試験があるという形です。
筆記試験は経営方針やら業務管理やら世界経済やらから出題されるもので
だいたいは予想できる範囲の問題なので(というか参考資料と問題集が事前に手渡される)
一般常識に加えて一夜漬けでもしっかり勉強すれば最低限の点数は取れるかなというレベルです。
実際にここである程度の点数が取れないと足切りされると言われていました。

論文試験は1)自分の業務、2)あるお題についてどう考えるかの2つのテーマが与えられ、
1)は予めまとめてきたものを丸暗記してそれをただ書くだけで、
2)はお題についてきちんと対応した内容になってなければなりません。
とはいえ、制限時間内に書くだけでもかなりの時間がかかりじっくり考えている余裕はありませんので
事前に本論の部分は用意しておいて、前後を上手く繋げてお題に対応するというものです。
正直言ってこんなのは本来の論文試験とは違うかなと思いますが、文句言っても仕方ありません。

面接試験はだいたい3人1組で行われます。面接官はその部門の部長クラスが3人と人事部から1人です。
直属の上司の部長は面接官にならないように組み合わせが決められています。
そこでは、論文の内容と目標管理票(年度初めに業務目標を立てて中間・年度末に進捗を記した物)を
もとに質問されてそれに答えるという形になります。
なので、3人1組であっても質問はそれぞれ別々のことがほとんどですが
ただ、人事部の人からは3人に同じ一般論的な質問をすることも多かったようです。

ちなみに、この試験はただでさえ何かと忙しい年度末に近い2月、3月頃に実施され、
特に操安乗り心地やブレーキなどの実験部署では雪上試験で長期北海道出張などが重なり
ある意味ではお受験の勉強や準備が十分にできないなんてことも言われがちでしたが
逆にそこまでお受験・お受験とやる意味もないかなと個人的には考えていましたし
むしろ本人も周りもそういうお受験騒動から少し距離をとって冷静になれるので
かえって良いんじゃないかとさえ思っていましたね。

もっとも部署によっては今年はお受験だから長期出張はやめにしておこうだとか
逆に今年度はお受験させるからそれに相応しい業務をやってもらおうとか
またにお受験中心の家族みたいなことやってるところもあったようですが……

そうなんですよね、なんかこのお受験が本人だけでなく周りがやたらうるさくて
その部署挙げての一大イベントみたいになっていて
あるいはそのお受験の結果がその部署の威信をかけてるみたいになっていて
さらには、部下の育成というのはそのお受験に受からせることみたいに考えてるふしもあり
部署や上司によっては本業よりもお受験お勉強を優先させるみたいな感じでしたね。

上司がマンツーマンで論文指導、というかほとんど上司の意見の押し付けだったり、
面接訓練とかいいながらほとんど本人の意見を全否定したりする人もいて
それでウツになりそうになったり、もう試験は受けないとなった人もいたようです。
まぁ、実際の面接試験で大炎上して吊し上げられる受験者もいたようですが……

というくらい面接官も私情というか感情に流される程度の人もいたくらいで、
というのも人事面接官として特別な訓練もしてないし、面接官として統一基準もなく、
ただその時に部長になっていたという人(例えは技術には明るいが人事には……)もいて
その意味では誰でも公正に実力を評価されたわけではないということです。
まっ会社での考課や試験ってのは本来公正なものではないのは分かり切ったことですが。

面接官ですらそんなレベルですから勉強や訓練でご指導してくれる(笑)
課長や係長クラスの上司になればもっとレベルは下がります。
下がるというより統一基準もなくばらばらの個人の意見での指導ということになります。
そんなのをいちいち真に受けて聞いていたら自分の意見なんてまとまるわけありません。

なので、ボクはほとんど上司に論文指導なんて仰ぎませんでしたし、
強制的な終業後の(もちろん残業代はつかない)勉強会でも形式的にか参加しませんでした。
もちろん、まったく聞く耳持たずではないですが自分がなるほどと納得できたこと以外は
ほとんど全て聞き流していました。

 

それに、ボクはそもそも出世欲があまりなかったので、
(先ほど、エンジニアは冷遇されてたようなことと書きましたが
 出世というより尊敬されてなかったことにグチを言いたかっただけです)
だから自分の意見ややり方を曲げてでも合格したいと思っていませんでした。
かといって、絶対に昇格したくないとか係長クラスはやりたくないとも思ってませんでしたから
そこんところはある程度成り行きまかせで、不合格なら縁がなかっただけと考えてましたね。

じゃぁ受験勉強なんてまったくしなかったのかというとそんなことはなくて
1月上旬くらいにはほぼ論文の骨子は出来ていて、
後は幾つかの想定されるお題に対する前後の対応を考えて用意するだけでした。
筆記試験の方は確か試験日の1週間くらい前から詰め込みで覚えましたね。

面接は特別な準備はしなかったですけど、論文を自分の考えで自分の言葉で書いていれば
その過程で思考は整理されているので、自ずと何を聞かれても答えられるようになってるはずです。
それよりも面接前には面接官になりそうな部長クラスの人がどんな人なのかを探るようにしましたね。
だって面接官によって基準も私情もいろいろなわけですから
その人がどのレベルでどんな意図で質問しているのか理解した上で
それに合わせた応えをしないと面接になりませんからね(笑)
そういう意味では、そんな人間対応力を面接で試されているとも言えますが(汗)

 

そんなわけで、昇格試験は終わって数か月後には合格を伝えられました。
その間、誰々がトップクラスの成績だったとか誰々がボーダーで調整しているだとか
噂が飛び交ってましたけど、トップクラスだろうがギリギリだろうが合格なら差はないので
ほとんどどうでもいい噂話だよなぁと思ってました。
というかそういう噂話が出てくるってことは面接官やった人がどこかで漏らしてんだろうなと
であるならそうとうに意識が低い面接官だなぁと。。。

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