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新書「感情天皇論」大塚英志著を読了

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ちくま新書の「感情天皇論」大塚英志著を読み終えました。
ある意味でデリケートな話題でもありますし本の内容的にも文章表現でも
ボクには少々やっかいで難解なところも多くて読み切るのに苦労しました。
ちなみに、本書は天皇譲位の前の2019年4月に書かれてます。

「感情天皇論」の“感情”とは著者の造語であり主張でもあるのですが
この本の序章に以下のように書かれていることからなんとなくはすぐに分かります。
                                   (以下引用)
 この「お気持ち」発言をめぐって顕わになったのは、私たちが戦後憲法下におけ天皇
について「考え」たくないという、「意志」でなく「感情」の国民的共有であった
                                   (引用終わり)

もちろん「お気持ち」とは2016年8月の明仁天皇(現・上皇)の生前退位のお気持ちのことです。
もっともそれは「御意向」だったのものがマスメディア等によって「お気持ち」にすり替えられてしまい
そのこともまた“感情”とも呼べることになるわけですが……

さらに著者は国民の側だけからでなく天皇の側からも次のようにとらえています。(以下引用)

 しかし、こうやって改めて彼の自己定義に耳を傾けた時、象徴天皇制とは、天皇及び皇
室による「国民」に対する「感情労働」だという考えに、明仁天皇が至ったのだと理解で
きる。                                  (引用終わり) 

そして、結果的に天皇退位のために一代限りの「特例法」が作られるわけですが
著者はそのことについて以下のように書いています。             (以下引用)

 何よりこの法律は、明仁天皇の提言がただ、「天皇、お疲れさまでした」という国民の
「共感」、即ち「感情」水準で受け止められたことを法の名の許に公式なものとしてしまっ
た。明仁天皇の「考え」を「法」で以て否定したのである。なんと心ない法であることか。
                                     (引用終わり)

まぁボク自身は「お気持ち」発言を自分自身の早期リタイア的発想でもって
「天皇、お疲れさまでした」と単純にはとらえませんでしたけど、
それでも天皇について積極的に意志を持って考えることなく
なんとなく考えたくない・考えようとしない感情があることは事実ですから
その意味ではやはり「感情天皇論」をなしている一人であるのかもしれないですね。
かといってその“感情”を“国民的共有”したいとは微塵も考えていませんが。

 

ただ、この本が難解なのはそのような著者の主張が
他人の描いた本や映画を批評することによって導き出されていくことにあります。
そのことに著者は「本書の手法」として以下のように説明しています。     (以下引用)

 つまり本書は文学や映画を通じて天皇をめぐる時代精神を抽出していくオールドスクー
ルな「批評」という方法を選択する。                    (引用終わり)

それは明仁天皇が美智子皇后(現・上皇后)と結婚された1959年から平成の終わりまでの
およそ60年間に渡りますが、1959年前後と平成の終わりの2つの時代を主に扱っています。
ちなみに、著者は1958年生まれですからちょうど著者が生きてきた期間ということですし
ボクとはそんなに世代は変わらないということにもなります。
もっともノンポリのボクとはずいぶん違う考えをもっているのでしょうけど(汗)

そして、1959年ごろの文学として題材になっているのは不敬文学が多いのですが
中でも「投石少年」に関する文学・報道がかなりの量をしめています。
この「投石少年」とは皇太子明仁と正田美智子とのご成婚パレードに向けて
一人の少年が石を投げて馬車のドアに石が当たるという事件があったことを指してます。
そんなことがあったなんて初めて知りましたよ。
ボクが生まれる前ですけど(汗)

そこで、三島由紀夫や石原慎太郎や大江健三郎などなどの文学が
取り上げられてそれぞれに批評が展開されていきます。
ただ、名前と一部顔くらい知っていてもボクは彼らの文学には一切触れていないので
チンプンカンプンな感じは否めませんでした。

一方で平成終わりとしては「シン・ゴジラ」およびそこから「新世紀エヴァンゲリオン」
また「平成くん、さようなら」、「33年後のなんとなく、クリスタル」およびそこから
「なんとなく、クリスタル」などが取り上げられ批評されていくのですが、
これまたボクはいまさらになって「新世紀エヴァンゲリオン」を観ている程度ですから
イマイチピンとこない感じとなってしまいました。

 

となかなか著者の言わんとするところの理解に苦しんだわけですが
最後の「短い終章」と書かれた部分はわりとすっきりと主張が書かれてます。(以下引用)

 最後にもう一度確認するが、「感情天皇制」とぼくが呼ぶものは、つまりは、私たちが
近代的個人になり、そして、その上で公共性の形成に責任を持って参加する、と書くと難
しそうだが、要は選挙という民主主義システムを正しく機能させていく前提としてあるべ
き姿への「サボタージュ」がもたらしたものだ。つまり「感情天皇制」とは近代のサボ
タージュだ。
 それは、私たちが「個人」になることを面倒臭がっている、もしくは、恐れているから
だ。それに尽きてしまう問題だ。                    (引用終わり)

そして著者は結論として、「天皇制を断念しよう。」と主張してます。

確かに、天皇制の一番の被害者は天皇自身であるとも考えられるから
天皇制を廃止するのも良いんじゃないかと思いますね。
まぁ無理でしょうけど。
それでも、もし憲法改正議論をするのであれば
九条うんぬんよりもこちらの議論の方がはるかに重要でしょうね。

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