« 比較的近くの川嶋食堂までニャンコで麺紀行 | トップページ | 金ちゃんのぶっかけ明太クリームうどん »

「学校では教えてくれない日本史の授業 天皇論」を読了

B200626_1 
PHP文庫の「学校では教えてくれない日本史の授業 天皇論」井沢元彦著を読みました。
PHP文庫からは同じ井沢著の「学校では教えてくれない日本史の授業」という文庫本が出ていて
今回のこの本はその続編みたいな位置づけで、主に天皇に焦点をあてて書かれています。

初版が2014年3月印刷となってますが、元は2012年2月に刊行した本の文庫化のようです。
ですから、それほど最新の内容というものではないでしょうが、
古代日本から戦前あたりまでの日本史を扱っているので最新もなにもないとも言えますかね。

なお、著者は何度がテレビなどでも拝見したような気もしますが、
歴史学者とかではなく作家とのことです。
それでも宗教観などをもとに独自の切り口で歴史を考証しているという感じですかね。

前回紹介の「感情天皇論」は昭和にまで遡っているものの基本は現在の天皇についての論考ですが
こちらでは古代~近世までの長い日本史の中での天皇について
神道・仏教・儒教など宗教などを踏まえて考察している内容になります。
その際に、学校の教科書ではこのように書かれているけどこれだと表層的とか間違ってるとかで
実はかくかくしかじかでこのような背景や事実を踏まえないと理解できないよ
というような流れで書かれています。

 

かなり冒頭部分には以下のように書かれています。              (以下引用)

 このように日本の歴史・文化を見ていくと、はっきりした証拠はないのですが、日本と
いう国は、狩猟文化だったところに、稲作を持った外来農耕文化が入って来て、農耕に適
した温暖な土地、具体的に言えば九州、四国、関西地方あたりを征服し、そこに稲作文化
を築いたと言えるでしょう。
 そして、この稲作文化を持ち込んだ外来民族の長こそが「天皇」だと考えられるのです。
                                     (引用終わり)
最近の研究では弥生文化はもっと早くはじまって長い期間かけて徐々に縄文→弥生が広まったとか
古代日本には大規模な“征服”みたいなものは起こらなかったとか
あるいはDNA研究により日本人ルーツなどもだんだん明らかになっていているので、
それらに照らし合わせると少し昔の日本人論という印象を持ってしまいますね。
のっけからこれなので天皇=外来民族で日本を征服した長という論調もかなり怪しいかな。

それでも、「死=ケガレ=罪というのが日本人の考え方」というのはすんなり納得できます。
そして、それは今でも日本人が意識下であっても信じている宗教であるというのも確かでしょう。
著者はそのことを以下のように書いています。                (以下引用)

 よく日本人は無宗教だと言いますが、そんなことはありません。宗教というのは、いろ
いろな定義がありますが、科学で証明できないものを信じるというのが、宗教の定義の一
つです。
 神様のことを科学的に証明するのは、不可能だからです。ですから日本人は『古事記』
の時代からずっと、ケガレの存在を信じる宗教の信者だと言えるのです。   (引用終わり)

ただ、『古事記』の時代、というより『古事記』に書かれた神代の時代からというべきかな。
古事記が書かれた藤原家が牛耳った時代の日本ではなく、
古事記に書かれた神代=おそらく縄文時代の記憶や口承などが元になってるのでしょう。

このように幾つも突っ込み入れたくなる部分もありましたが
詳細に触れることはしませんが、ふーんなるほどと勉強になることも多かった本でした。
本題からはやや逸れるものの幾つか面白いと思ったことを紹介しましょう。

 

                                    (以下引用)
 皇国史観を持っていた戦前までは仕方ありませんが、戦後は昭和天皇が人間宣言をし、
戦前のように記紀の記述を絶対視することは止めたはずです。にもかかわらず、宮内庁だ
けは今も戦前に比定された天皇陵を絶対視し、学者の意見を一切聞き入れないのです。私
も含めて多くの人々が宮内庁に「きちんと調査をして欲しい」という要望を出しているの
ですが、その対応は今も変わっていません。               (引用終わり)

古墳調査についての話題ですが、世界遺産に登録されても変わらないんですかねぇ。
前回紹介の本のように天皇制を無くさないと変わらないのかも知れませんが、
無くしたら無くしたでそれこそ個人となった人の祖先の墓を勝手に調査するなとなるのかも(汗)
個人的には不謹慎ながら、古墳調査よりも天皇・皇族の遺伝子調査の方が興味がありますが、、、

 

それから、藤原氏についての話です。                  (以下引用)
 結論から言えば、荘園というのは藤原氏が考え出した「脱税システム」なのです。
 墾田永年私財法によって土地を所有することができるようになっても、その田んぼで獲
れた作物には税金が課せられていました。ところが、「荘園」になると、税金を払わなく
てもよかったのです。   (中略)    これは推測ですが、藤原氏自分たちの荘園
の小作人になれば、税金を低くするということをしたのです。たとえば、口分田を耕作し
た場合、収穫の五〇%を税として納めなければならないときに、藤原氏は「うちの小作人
になれば、納めるのは収穫の三〇%でいいよ」と言ったのです。      (引用終わり)

あはは、この本でも藤原氏(藤原家一族)は悪者ですね。
それより、推測と断ってますけど、これが本当であれば
日本にこれだけ藤原家の関係のある名字だとされる“藤”の字を持つ名字が多いのも納得です。
確かに栄華を誇って分家も多かったのは事実でしょうけど
そうやって小作人を囲って領地を増やしていって
やがて小作人集団が名字(らしき名前)をつける段になって“藤”を入れたと考えれば筋が通りますね。

そう、名字に“藤”の付く人は先祖が高貴な藤原家の貴族であったなどという人がいますが、
その大半は実は単に藤原家の荘園の脱税システムに乗っかった小作人だった可能性が高いですね。
だからといって、“藤”の付く人の先祖をバカにしているわけではありませんよ。
むしろ、悪の藤原家そのものの直系ではないということで安心していいのかも(笑)

 

最後に日本における仏教についての話。                 (以下引用)

 往生というのは、念仏の結果、極楽浄土に生まれ変わるというのが本来の意味です。と
ころが、ほんどの日本人は、「いい死に方をした」という意味でこの言葉を使っています。
(中略)成仏というのは、本来は、念仏をして極楽に生まれ変わり、極楽で阿弥陀様の指
導を受けて一人前の仏になるという意味です。しかし、実際には日本人がそうした意味で
使うことはまずありません。ほとんどの日本人は、「あんな不幸な死に方をした彼女も、
犯人が捕まって死刑になったから、これでようやく成仏できただろう」というような使い
方をしています。 (中略)
 つまり日本人は、「往生」とは「満足できる死に方」、別の言い方をすれば「悔いのない
死に方」であり、「成仏」とは、「死後に、怨みなど心残りが晴らされたこと」という意味
で使っているのです。  (中略)           怨霊信仰とは、怨みを抱いた
まま人がなくなると、その人は怨霊になってこの世に祟りをなすと信じることです。
 怨霊をつくらないためには、怨みや悔いを残さず亡くなることが重要です。いい死に方
が「大往生だ」と称賛されるのは、怨霊になる心配がないからです。
 同様に、怨霊を慰めるためには、死者の怨みが晴らされることが重要です。だから、犯
人が捕まったり、死刑になったときに「よかった、これで成仏できる」と安心するのは、
怨霊になるのを防ぐためなのです。                  (引用終わり)

なるほど、説得力がありますね。
それとともに、日本での仏教はかなり変質したものであったわけですね。

|

« 比較的近くの川嶋食堂までニャンコで麺紀行 | トップページ | 金ちゃんのぶっかけ明太クリームうどん »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 比較的近くの川嶋食堂までニャンコで麺紀行 | トップページ | 金ちゃんのぶっかけ明太クリームうどん »