« トラックボールのボタンが渋くなったので新調した | トップページ | 一平ちゃん・たらこ味はなかなかの食感でした »

新書「残酷な進化論」を読了

B200706_8
NHK出版新書の「残酷な進化論 何故私たちは『不完全』なのか」更科功著を読みました。
なにが残酷なんだかよく分からない(読んだあとでもも分からなかった)ですが
副題からも想定できるように主に人類について不完全であるアレコレを例にして
進化論について説明しているような内容の本です。
ですから、進化論の説明であると同時に人類の進化についての話でもあるわけです。

表紙の裏、実際には全面帯になっているので帯表面の裏というべきかもしれませんが
そこに本書の紹介として次のように書かれています。  (以下引用)

私たちヒトは進化の頂点でもないし、進化の終着点でもない。私たちは
進化の途中にいるだけで、その意味では他のすべての生物と変わらない。
それに、いくら進化したって、環境にぴったりと適応する境地には辿り
着けない。環境に完全に適応した生物というのは、理想というか空想の
産物であって、そんな生物はいない。……ヒトって、大したことはないの
だ。オンリー・ワンではあるけれど、ナンバー・ワンではないのだ。だから、
ヒトという種が偉いと思っている人には、ある意味、進化というのは残酷
なのかもしれない。――「はじめに」より          (引用終わり)

あっここに「残酷」って出てきますね。そういうことだったんですね。
ボクは進化論としてヒトが進化の頂点でもなくヒトが偉いともなんとも思ってないので
だから残酷だともなんとも感じてなかったというわけですね。

そういう意味では、クジラは知能が高いから捕鯨反対とかいう理屈も無意味ですし
動物と植物を差別してベジタリアンとかビーガンとかの主張も無意味と思ってますし。

 

上記のことより「はじめに」にはもっと面白いことが書かれてました。  (以下引用)

 もしも地球がなくなって、あなたが他の星に移住することになったら……、あなたはハ
ロープラネットに相談に行くかもしれない。そうしたら、温和で性格のよいあなたは、声
には出さないけれど……、もしかしたら、心の中で思うかもしれない。

  バカにしないでよ、私を誰だと思ってるの? ヒトよ。地球では、偉かったのよ。

 そのときハロープラネットの相談員は、どんなことをあなたに言うだろうか。そんなこ
とを考えながら、書かせていただいたのが本書である。        (引用終わり)

早期リタイアしてハローワークに通ったボクとしてはなかなか笑える例えですね。
確かに、退職しても現役時代の肩書を捨てられず偉ぶってるタダのジジイはいるようですが
ボクなんかは現役時代からそんなもの端から身に纏ってなかったですからね。

 

さて、笑い話とは別にして、本書の紹介です。
全体の著者の主張は前述の通りですが、中身はかなり面白いことがたくさん書かれてます。
序章「なぜ私たちは生きているのか」、終章「なぜ私たちの死ぬのか」は重い命題ですが
内容的にはなかなか示唆に富み面白いですし、
その間の章ではよく聞く腰痛や難産の話も含めて人間の心臓、肺、腎臓、胃腸、眼など
様々な部位の構造について進化としてどうなってしまっているかなど解説されていて
どれもこれも、おぉそういうことなのかとか驚くような面白さがあります。

ちょっとだけ、幾つか紹介しましょう。                (以下引用)

 もしも大人がミルクを飲むと、ラクトースは分解も吸収もされない。すると、腸内細菌
によって、ラクトースが違う方法で分解されて、メタンと水素ができる。その結果、腹部
の張りや下痢に悩まされることになる。だから、普通大人はミルクを飲まないのである。(中略)
 ところが、大人になってもラクターゼをつくり続けるラクターゼ活性持続症になると、
大人になってもミルクが飲めるようになる。大人のくせに赤ちゃんみたいで、ちょっと恥
ずかしい。                             (引用終わり)

ボクは乳糖不耐症なのであまり牛乳を飲めませんが
それは進化としては当たり前のことであって
むしろ牛乳を飲める人がラクターゼ活性持続症という異常だという言い方は嬉しく感じます(笑)
ちなみに著者もラクターゼ活性持続症だそうです。


そして、ラクターゼ活性持続症も進化論でいう自然淘汰で広がったことも説明されてます。
その自然淘汰について以下の説明にははっとさせられました。       (以下引用)

方向性選択と安定化選択(中略)有利な突然変異が起きると、自然淘汰はその突然変異を増
やすように作用する。すると、生物の形質が、一定の方向へ変化する。これが方向性選択
だ。これは生物を進化させる力になる。
 一方、不利な突然変異が起きると、自然淘汰はその突然変異を除くように作用する。
  (中略)  このような安定化選択は、生物を進化させない力だ。  (中略)
止まらずに走り続けているわりには、生物はなかなか進化しないように見える。それであ
れば、進化の速度はものすごく遅いと考えざるを得ない。止まらずに、ひたすらゆっくり
走り続ける。これがダーウィンの考えた進化だった。
 しかし、実際の進化は違う。アクセルを踏んだりブレーキを踏んだりしながら、走って
いくのだ。  (中略)
 安定化選択が働いているときは進化しないが、方向性選択が働いているときの進化は結
構速い。おそらく数千年もあれば十分だろう。              (引用終わり)

そう言われればその通りだろう。ストンと腑に落ちました。

 

もうひとつ、進化論についてそうかとはっとしたことです。      (以下引用)

 そして、何よりも重要なことは、非生物的な環境が変化しようと、周りの生物が進化し
ようと、進化の当事者である生物自身の行動が変化しようと、すでにあった変異の中から
有利なものが選択されて広まっていくことに変わりはない。それが、ダーウィンの考えた
自然淘汰だ。したがって、「行動によって進化の方向が変化する」ことは、すでにダーウ
ィンが述べている自然淘汰の1つの形であって、自然淘汰説の中に含まれていると言って
よいだろう。                           (引用終わり)

なるほど、人間がこうありたいと願ってその通りに進化していくことは絶対ないけど
人間がこうありたいと行動を変化させるとそれによって自然淘汰が働き進化することはあると。
考えてみれば確かにその通りなんでしょうが、今までそんなふうに考えなかったです。

 

最後に、人類の二足歩行についての進化の考察です。         (以下引用)

 かつては、直立二足歩行は、草原で進化したと考えられていた。だがその場合は、四足
歩行から直立二足歩行へ移る途中で、適応度が低い中腰歩行の段階を通らなければならな
い。しかし、適応度の高い四足歩行から、適応度の低い中腰のヨタヨタ歩きが、自然淘汰
によって進化するとは思えない。
 ところが、木の上で二足歩行が進化したのなら、この問題は解決される。体が大きくな
った人類の祖先が、枝先の果実を食べようとしている。四足歩行で1本の枝の上を歩い
て、果実に近づいた場合は、枝が折れて地上に落ちてしまうかもしれない。しかし、中腰
歩行で両手両足を使って複数の枝に摑まっていれば、果実に近づいても枝は折れずに、め
でたく果実を食べられるかもしれないのだ。              (引用終わり)

ボクも草原で二足歩行が進化したとか木から降りて少しづつ二足歩行しだしたとか
そんな人類進化の過程をテレビ映像で観た覚えもあって
それをなんの疑いも抱かずに信じていましたから、これまた目から鱗のような話です。
確かに中腰ヨロヨロ歩行では敵から逃げられないですもんね。

ただ、そのテレビ映像ってたしか某NHKが製作した番組だったはずですが(笑)
テレビと出版では同じNHKでもまったく別物なんでしょうかねぇ。

|

« トラックボールのボタンが渋くなったので新調した | トップページ | 一平ちゃん・たらこ味はなかなかの食感でした »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« トラックボールのボタンが渋くなったので新調した | トップページ | 一平ちゃん・たらこ味はなかなかの食感でした »