新書「大和路の謎を解く」関裕二著を読了
ポプラ新書の「大和路の謎を解く 古代史巡礼の旅」関裕二著を読みました。
前回紹介の本に続いて関裕二著の本ですが、こちらは2014年発行ですから少し古い本で、
おそらくブックオフで中古を買ったものではないかと思います。
まぁ、少し古いといっても千年以上もいにしえのことを扱っている内容ですから
誤差範囲の年数でしかないのかもしれませんけどね。
それでも、関氏特有の藤原家嫌いの論調が絶頂期の頃ですから(笑)
反・平安京(京都)としての大和(奈良)にスポットを当てたというような内容です。
末尾の方に「大和路周辺巡礼マップ」なんてのも載っていて
仏閣・仏像をはじめ史跡めぐりガイドブック的な側面もないではないですが、
やはり全体を通しては反藤原家の歴史史観の主張の本ですかね。
それがまた面白いんですけどね。
ちょっとその辺りのくだりを抜き出してみましょうかね。
(以下引用) 私は平城宮があまり好きではない。なぜ
なら、平城宮は、政争渦巻く暗黒の宮だったからだ。そしてこの場で、多くの
古代豪族が陰謀にはめられ、呪われ、抹殺されていったのである。この陰惨な
政争の現場が、平城宮であり、「天平」の二文字がもたらす優雅なイメージと
はかけ離れた悲劇が続けざまに起きた場所だった。
そもそも平城京遷都は、藤原不比等が藤原氏発展の基礎を築くために敢行し
たプロジェクトだった可能性が高い。平城宮の形が、「藤原氏が天下を取った
ことを示している」からである。 (引用終わり)
(以下引用)
藤原氏という一族は、それまでの古代豪族とは異質な存在であった。「藤原
以外の氏族の繁栄を許さない(共存を拒む)」「すぐに人をだます」「皇族でも
邪魔になれば殺す」「自分の罪を消し去る」「他人の手柄を横取りする」と、あ
る意味悪人ぶりは小気味よいほどで、これは中臣鎌足と藤原不比等以来の一族
の伝統になっていく。 (引用終わり)
どうですか?
ここまで言われると、現代の藤原さんや藤原に由来する氏名を持つ方は
気分を害するかも知れませんねぇ。
まぁ先祖様を悪く言われるのは嫌なもんですし血筋が悪いと思われるのも嫌な気分ですから。
それでも、歴史探究は面白いですけど。。。
さて、そんな藤原一族の祖とされる中臣鎌足の出自には謎が多いのですが
著者は以下のように百済の豊璋ではないかと推測しています。 (以下引用)
中臣鎌足が忽然と歴史に姿を現したころ、ちょうど百済王子・豊璋なる者が、
人質となって来日していた。しかも、百済が一度滅亡し、再起を図ろうとした
とき、豊璋は本国に呼びもどされ王に立つが、この時「われらが中臣鎌足」は、
なぜか日本の歴史から姿を消す。中大兄皇子の生涯最大のピンチ・白村江の戦
い(663年)の間、中臣鎌足はどこにも登場しないのだ。 (引用終わり)
他にも、聖徳太子は実在しなかったとか、竹取物語についてや、天皇とは何かなど
面白い話題が満載という感じで存分に楽しめた一冊でした。
なお、本論とは別にして、笑えたのは以下のくだりです。(以下引用)
かつて他の拙著の中で、「もし仮に、戦艦大和が戦艦富山だったら、はたし
てアニメ宇宙戦艦トヤマは誕生しただろうか」と世に問いかけたことがある。
そしてもちろん、富山県人の顰蹙を買ったのだった。しかし、冷静に考えてみ
ようではないか。「ヤマト」と「トヤマ」は「ト」の位置が前かあとかの違い
だけなのだ。それにもかかわらず、「ヤマト」の音の響きが、日本人には心地
よいのである。 (引用終わり)
ダジャレみたいなものなので、富山県人でもヤマトファンでもとやかく言うのはヤボですが、
ただ戦前の戦艦は旧国名から名付けられているので
戦艦富山とはならず戦艦越中にしないといけませんから
このダジャレは本来なりたたないんですけどね(笑)
もうひとつ本論とは別に興味深いのは次の話です。 (以下引用)
ところで、天理で有名なのは、彩華ラーメン(天理ラーメン)なのだが、それ
よりも、はじめて訪れたなら、街並みに仰天するにちがいない。奈良から櫻井
線に乗って天理に近づくと、すでに異様な空気に包まれる。街が、天理教一
色なのだ。 (中略)
とは言っても、勧誘されることはないし、壺を買わされるようなことは絶対
にない。 (引用終わり)
カップ麺の天理ラーメンの記事で冗談半分で天理市には近づきたくなんて書きましたが
とりあえず勧誘されることはないとのことなので安心して行けますかね(笑)
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