もしもこの騒動が〇年前だったら……と空想してみた
前の記事でこの新型コロナ騒動の中でも「もしもまだ働いていたとしたら……」と
空想してみたわけですがその続きといいますか
もしこの新型コロナ騒動が何年か前に発生していたらどうなんていただろうかと
これまたありもしないことを空想して楽しんでみることにしました。
といっても、1年前とか2年前とかではボクもう早期リタイアしてしまっているので
ほとんど今と何も変わりはないでしょうから、空想してみても面白くありません。
かといって、10年前とかだと前回記事の「まだ働いていたとしたら……」と同じで
あらためて空想する価値はまったくなくなってしまいます。
となると、やはり大きな変化があった3年前を想定して空想するのが面白いでしょうね。
そう、ちょうど3年前に会社の転進支援制度に応募してその4月から休職に突入しましたからね。
ただし、その転進支援制度への応募期間は正月明けすぐのことでしたから
そのタイミングではまだ日本では騒動というものの兆候すら感じていなかった時期なので
(専門家や超敏感な人はすでに警戒感を持っていたかもしれませんが)
この騒動自体が転進支援制度への応募になんらかの影響を及ぼしたということはないでしょう。
そして、休職に入る前の2月下旬から3月末までは有給休暇消化ということでずーと休みにしてました。
ちょうど、だんだんと新型コロナ騒動が取り沙汰されるようになってきた時と重なりますね。
会社内では手洗い励行、マスク着用、会議縮小などが叫ばれるようになっていた頃でしょうが
そんな面倒に巻き込まれずに自宅に引き籠れていたわけですからラッキーだと思ったことでしょう。
なお、有給休暇といいつつもいちおう会社のパソコンは自宅に持ち込んでいて
Eメールチェックや部下の査定などはやってました。年度末ですからね。
ですから、ある意味では最低限のテレワークをしていた状態とも言えますかね。
もっとも、1日2時間くらいしかやってませんでしたが……しかも、ながら作業ですし(汗)
ただ、休日扱いなのに自宅で僅かとはいえ仕事をするのはちょっと嫌な気分でしたし
それでも有給休暇なので給料は貰えるというなんとも微妙などっちつかずの気分ではありました。
もし、その時すでに会社がテレワークに突入していたら
これはテレワークであって有休休暇に仕事しているわけではないと割り切れたのかも(笑)
まぁ、でもどのみち有給休暇を消化できずに残すだけだし給料も変わらないわけですけどね。
その給料ということでは、働いていたら今は減給されていたかもしれないと空想しましたが
3年前だったとしたらボクは4月からは休職期間に入っていたわけで
その休職期間中の給料はその前年の基本給の〇割と決められているので減給は免れたでしょう。
また転進支援制度での退職金割り増しについてもその前年の基本給と退職時の年齢に応じて
決められているのでこれも減額は免れたと思います。
夏のボーナスは減額されたかもしれませんが、この騒動の本格化は春闘以後なので
(ボクは組合員ではなかったけど連動するので)大幅な減額にはならなかった可能性があります。
と、空想していくと3年前だったらちょうどギリギリで逃げ切れるベストタイミングだったわけで
今以上に早期リタイアしてラッキーだったとほくそ笑んでいたのかもしれないですな(^^ゞ
また、3月末のある日だけはパソコンの返却等で出社が必要となるのは変わらずでしょうし
退職の挨拶などもまともにしませんでしたからそこもほとんど違いはなかったでしょう。
ただ、同期入社の同僚との宴会は開けなかったでしょうね(笑)
では、4年前だったらどうでしょうか。
転進支援制度への応募は半期ごとに応募期間が決められていて1月と7月頃なので
新型コロナ騒動があっても1月の応募には間に合わなかったでしょうから
1年前倒しでの早期リタイアということにはならなかったでしょう。
ただ、4月からSTIに出向となっても新型コロナ騒動でほとんど仕事にならない状態が続いてたら
そしてそれが長引いて6月、7月……となってしまっていたとしたら、
おそらく転進支援制度に7月の応募期間中に応募していたでしょうね。
だって、STIに出向して僅か半年で辞める(休職に入る)のはちょっと抵抗があったわけですが
その半年間でまともに仕事にならない状態が続いていたらその抵抗感もほぼなくなりますからね。
というわけで、4年前だと空想すると早期リタイアが半年早く実現しただろうとなります。
給料の減額には該当してしまったかもしれませんし割り増しの退職金も減ったかもしれません。
それもこれも含めて早期リタイア後の資金計画は少し苦しくなったかもしれませんが
それでももともとはそのタイミングで早期リタイアしようと計画していたくらいですから
問題なく退職に踏み切っていたでしょうね。
なんとなくモヤモヤ感は残ってしまったとは思いますが……
それでは、5年前では、、、と刻んでもあまり意味はないですが
おそらく半年とか1年とか早期リタイア突入を早めることに繋がったと思います。
ちょっと空想する材料が少なくて中身のある空想になりませんけどね。
では、ずーと昔に遡って、34年前の大学卒業から社会人になった時だったらどうだろうか?
留年して大学5年生であってこともあり単位は取れていたので卒業は支障なかったはずですし
卒業式はなくなったでしょうが、そもそも卒業式なんて出席しませんでしたら関係なしです。
スバル(当時は富士重工)への内定取り消しは絶対なかったとは言い切れませんが
まぁおそらく大丈夫だったのではないかと想像できます。イケイケの社長でしたから(笑)
ただ、入社式やら新入社員研修やらはなくなるか先送りになっている可能性大です。
ボクらが入社した頃の自動車開発部門の新入社員は配属先が決まる前に
数ヵ月間の工場現場実習にて自動車の製造に携わることになっていました。
(ボクらの年は社長が早く開発現場で即戦力にせよと言って2ヶ月間の実習でした)
ということだと、今のように工場が操業停止していたら工場実習もできませんし
かといって配属先も決まってないので上司も先輩もいないわけですから
ほとんど放置プレイのような状態で自宅待機になっていたのではないですかね。
この場合、自宅というよりボクも含めて多くの新入社員では社員寮ということになります。
今のスバルの寮には相部屋はないという情報も目にしましたが、当時は相部屋(二人部屋)も多く
技術系新入社員でも入社後1年間は相部屋でその後個室に移るというパターンでした。
工場実習では1ヶ月もしないうちにほとんどが昼夜交替の二直制になります。
そうすると相部屋でもお互いが反対の直になるように入れ替えをして
ほとんど顔を合わすことなく生活ができるようになります。
が、工場が操業停止ではそれもないわけで延々と一日中部屋に籠ることになります。
この相部屋で待機を強いられたら相当に参ってしまっていたでしょうね。
赤の他人と一日中ずーと狭い部屋にいるというのはボクには耐えられないです。
子どもの頃から自分の部屋があったし他人と共同生活する機会はほぼなく育ってきましたから。
かといって、ふらふら出歩くわけにもいかないし寮内で宴会するわけにもいかないでしょうし。
特に、相方が喫煙者だったり、自粛せずに外出しまくっていたら相当イライラしちゃうでしょう。
個室であったとしても、寮ではトイレ、洗面所、風呂、洗濯機、食堂など共用施設が多くて
感染リスクはかなり高まりますからそこで待機しているのはほんとうに苦痛でしょうね。
その頃のボクだったらおそらくクルマでドライブして発散していたでしょうな(汗)
まぁ市街地や観光地ではなく山中の林道など走っていたでしょうから
非難の対象からはある程度は逃れられたかもしれませんが。
工場停止している会社の寮って今はどんな状況なんでしょうかねぇ。
やはり、帰省しちゃってる人がたくさんいるんでしょうかね。
あるいは、パチンコやら夜遊びとか繰りだしちゃってるんでしょうかね。
となるといろいろ心配ですね。
まぁでも、グローバル化が進んでいない30年以上も前だと
そもそもチャイナからウイルスが世界中にあっという間に拡散するなんてことは
ほとんど起こり得ななかったでしょうから
こんな騒動にはなっていないんじゃないかと想像できますわな。チャンチャン。
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