「職業に貴賤はない」と言いますが、公利性のないものは別
よく「職業に貴賤はない」という言葉を耳にします。
「どのような仕事も社会に必要とされおり、仕事をすることは尊いことで、
職業によって人を差別すべきでない」といった意味で用いられるようです。
ただ、調べると、この言葉は江戸時代の思想家の石田梅岩という人が言い出したそうで
士農工商のそれぞれで貴賤はない、特に貴穀賤商とも言われた商人(商い)も等しく尊い
という意味であったらしく、
その思想の背景には娯楽快楽でモラルが乱れて秩序が失われていく世相に対して
誰もが自分の仕事(社会的役割)をまじめに努めることを唱えたものなのだそうです。
ですから、そもそも公利性のない仕事にまで貴賤はないと言っているわけではないんですね。
先日、芸人の松本人志さんが新型コロナ騒動の給付金支給について
「水商売のホステスに我々の税金で払って欲しくない」のような発言をして
物議を醸したとのニュースを目にしました。
まぁ確かにいろいろな意見もあるでしょうし
ひと口に水商売といっても公利性がまったくないのかどうか線引きは曖昧ですし
下手したら芸人だって公利性ないんじゃないのみたいな話にもなりかねませんしね。
それでも、ボクも松本人志さんと同じような感覚は持ってしまいますね。
特定の職業というよりも業種・業態によって区別があるかなという感覚ですけど。
例えば、今の新型コロナ騒動の最中では風俗店やパチンコ、雀荘、それとタバコ産業などに
我々の税金で給付金を出すのは嫌だなぁというのは率直な感覚ですね。
(風俗店と一括りにできないところなどもありますけど)
憲法で規定されている“健康で文化的な最低限の生活”は保障すべきですけど
休業補償や給与補償などがなければ……などと声高に騒いでいるのには、うーんという気持ちです。
まぁビタ一文も出すなというわけではなく程度問題というところもありますけどね。
というか、店長自身も従業員も感染リスクが高く、もし店から感染者が出てクラスターになったら
休業補償とかいうレベルではなく経済的にも社会的にも倫理的にも大ダメージに陥ってしまうという
そういう思考というか想像力が働かないのか不思議に思いますね。
もちろん、個別の店や人を非難・攻撃するつもりはないんですが
どうしてなんだろうと不思議に思うわけですよ。
それでも、やはり多くは自粛という方向に進んでいるわけですし
それ以前に自ら自粛を行なっている企業や店はたくさんあるわけです。
そのいう意味では業種・業態で括るよりもそのような自粛が判断できるのが公利性ありで
それができない企業・店・人が公利性がない、つまり私利しかないと
色分けすることもできるのかもしれないですね。
また、風俗店などの多くは日銭商売であり家賃代含めて自転車操業状態だから……
という擁護意見もありますけど、
それなら余計にどうして貯金なり保険なり対策してないのか不思議に思うわけですよ。
宵越しの銭は持たぬという精神なのならなおさら覚悟があってのことでしょうし。
それなのに、こういうことになって初めてお上にすがる・たかるって気持ちが不思議なんですよね。
公務員やサラリーマン、特に大企業の正社員サラリーマンとは違うんだという人もいるでしょうけど
それは雇われの身という自由の束縛の代償としていくばくかの安定・保障を得ている証なのですしね。
そのような自由の束縛が嫌で自営やフリーランスを選んだのなら
どうして自己責任を持つという気概がないのかというのも不思議なんですよね。
極端な話、投資の利益で生計を立てていた人なんかは新型コロナ騒動の株価暴落で
今後の生計もままならないという場合もあるかもしれませんが
じゃぁそれも国が損失補償すべきかというとそんな議論にはなりませんよね。
で、くどいようですが、最低限の保障(補償ではない)は必要ですし、程度問題でもありますし、
ボクは特定の団体や個人を非難しているわけではなく、ただ疑問に感じているだけのことですけどね。
それに、安倍政権のケチケチ経済対策、というより今は福祉救済政策ですが
それを支持しているわけでもありませんけど。
さてさて、今日の記事はこんな新型コロナ騒動についての思うことを書きたかったのではありません。
ついつい、前ふりで書き始めたらここまで長くなってしまっただけのことですorz
というわけで、とりあえずここまででこの記事は終わりにして、改めて別の記事で書くことにします。
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