« カップ麺「飄香 四川風麻婆麺」を実食 | トップページ | 冷凍食品「麻婆焼そば」にまで手を出した »

もう働くつもりないけど学生時代のバイトの話

ボクは大学卒業後に新卒採用されてその後転職することなく
基本的にたった一つの会社で働いた経験しかないのですが、
(基本的に、と書いたのは応援や出向でSTIに居た時期があるからですが)
学生時代にはまぁそれなりにいろいろなバイトをした経験があります。

もう早期リタイア後はバイトも含めて仕事をするつもりは一切ないのですが
今日は学生時代のバイトについてちょっと思い出して書いてみようと思います。
まぁ40年ほど前の話になるので今の学生さんの参考にはまったくなりませんし
ボクと同世代の中年ジジイにとってもどうでもいいことでしょうけどね(汗)

中高校生の時は部活(ハンドボール部)やってましたし
確かバイト禁止の校則があったので基本的にバイトはしませんでした。
けど、なんか親戚の酒屋さんでバイトしたことがあって
それが大学生の時ではなかったような記憶なんですよね。
もしかしたら、高校卒業直後から大学入学前までの春休み期間だったのかもしれません。

その親戚の酒屋さんでのバイトですが酒蔵とかではなく街の小さな酒屋さんです。
まだコンビニチェーンという業態もほとんどなく酒類販売の免許も厳しかったから
そのような小さな酒屋さんも十分にやっていける時代だったのです。
ただ、その酒屋さんは店頭販売よりも周辺の飲食店への酒類の卸しの方が主でしたから
ボクはご主人に同行してビール樽やビールケースを運ぶ作業を手伝うという仕事でした。

まっ言ってみれば単なる力仕事ですね。頭はほぼ使いません(笑)
それでもほとんどいかなかった(未成年ですから)ような居酒屋などの飲食店に行って
店の厨房や裏口などを覘き見るのは案外面白かったですね。
このバイトで幾らくらい稼げたのかはまったく覚えていませんね。

 

大学生になってからのバイトのメインは家庭教師でした。
最初は斡旋会社に登録しての紹介からのスタートでしたが、
親戚・知人からの紹介も徐々に増えてきたし
斡旋会社から紹介された家庭でも1年過ぎれば直に契約するようになりました。

週1回2時間でバイト代は斡旋会社の場合は1.5万円/月、直契約なら2万円/月くらいでしたね。
名古屋市内の家庭教師はもう少し相場が高かったようですが、ボクは地元の田舎でやってましたから。
お金持ちの家庭だったり大学受験が掛かっているとかだともっと貰えるでしょうし
実際に知人では3万円/月とかボーナスも貰えたなんて話も聞きましたがボクには無縁でしたね。

それでも、やはり時給という点では家庭教師のバイトが図抜けてますね。
それに体力的にも全然辛くないですし、頭もそれほど使うわけではないですし。
ただ、教える子や家庭環境によっては精神的な疲労はありますけど。

この記事で触れましたが、両親が教師しているのに家庭教師を頼んでいて
それなのに家庭教師で教えている最中に隣の部屋でバラエティ番組観てゲラゲラ笑ってる家族とか
工業高校に受験合格して卒業後は就職する予定なのに家庭教師を続ける家とか
逆に成績もすごく良くて勉強のやり方もしっかりできているのに家庭教師つけるとか
まぁ人それぞれ、家庭それぞれって感じで、ある意味いい社会勉強・人生勉強になりましたね。

今、新型コロナ騒動でバイトできる業種もかなり限定されちゃってるでしょうけど
学習塾は休業要請されてるようですが家庭教師はOKみたいですね。
もし、当時にそんな感染症流行の騒動になっていたら
家庭教師主体でラッキーだと思ったか、それとも感染避けて休止を検討したか、どっちでしょうかね。

 

家庭教師以外では、夏休み・冬休みは某醸造酢メーカーでバイトしたこともありました。
高校卒業後にOLで働いてた幼馴染がそこに勤めていて紹介してくれたものです。
酢を造る工場現場ではなく、意外なことに名古屋市内の酒類配送センターもしていたので
上述の親戚の酒屋さんの大規模版みたいな感じで大型トラックの助手席に乗っていって
酒類の配送の手伝いをするのが主な仕事でした。
たまにお歳暮・お中元セットなどの箱詰め作業も手伝わされましたけどね。

これは力仕事となるわけですけどヘトヘトになるほどでもなく
時間的にも木陰でトラック停めて運転手とともに昼寝するなんて呑気な感じでした(笑)
運転手なんてたまに缶ビール呑んでたりしましたし。今では考えられないですけどね(汗)
なお、どのくらいの時給のバイトだったのかは覚えてませんね。悪くはなかったでしょうけど。

 

また、夏休みには市民プールの監視員をやったこともありました。
市民プールなので目の保養になるようなことはほとんどありませんでしたけど(^^ゞ
それほど混雑もしてないしバカ騒ぎする輩もいないので辛いバイトではなかったですね。
合間などに泳ぐこともできたので日焼けして健康的なバイトだったと言えるでしょうね。
ただ、はっきり覚えてませんがあまり時給はよくなかったと思います。

 

それから、家庭教師の次に最もよくやったのが親戚の鉄工所でのバイトです。
特に大学5年生(留年したので)の時は卒論研究も終わっていて少しだけ単位取ればよかったので
大学にはほとんど行かずにほぼ平日毎日その鉄工所でバイトしてました。

その鉄工所では治具にセットしてただ機械で切削するなんていう単純作業もやりましたし
計測しつつも図面通りに切削していくというちょっとだけ頭使うこともやりました。
熟練の必要がある精度を要する旋盤、フライス作業はさせてもらえませんでしたが
当時導入したてのNC(数値制御)旋盤、NCフライスなどのプログラミングは真っ先にやりましたし、
簡単な図面などは製図するなど、バイトでこんなことやっても良いのかなんて思うくらいでした。

ただ、そういう経験はエンジニアとしても会社経営という視点でも貴重なものになったと思います。
まっその後も会社経営とは無縁でしたけど視点を高くするという意味ですね。

 

建築業などの日雇いや飲食店などの接客業などは経験しませんでしたが
総じて学生時代のバイトはそれほど苦しく辛いものではなくそれなりに楽しんでやって
それなりにバイト代貰いながらも貴重な経験となったかなと思ってます。
もっとも生活が懸かっていたわけでもないし責任もあまり無く気楽なもんだったから
そんな気持ちでやれたのでしょうね。

|

« カップ麺「飄香 四川風麻婆麺」を実食 | トップページ | 冷凍食品「麻婆焼そば」にまで手を出した »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« カップ麺「飄香 四川風麻婆麺」を実食 | トップページ | 冷凍食品「麻婆焼そば」にまで手を出した »