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30数年前の入社試験もほぼ記憶がゼロですorz

大学入試共通1次高校入試の思い出などを書いてきたのでその流れというのもおかしいですが
新卒での入社試験についてもちょっと書いておこうと思います。

ボクは単位が足りずに大学4年で卒業できずに1年留年して5年かかって卒業しましたが
いちおう大学の推薦ももらって富士重工業株式会社(現SUBARU)の入社試験を受けて
新卒として採用してもらってから一度も転職せずに退職しましたから
入社試験というものは人生でただ一度、この時だけの経験になりますね。
今後も入社試験を受けることはないつもりですし(笑)

入社年度は1986年ですから、就職活動&入社試験は1985年のことになります。
このころはまだまだバブル景気に突入していませんが新卒求人倍率はゆうに1.0倍以上あり
就職氷河期のように就職浪人ということもほとんど聞かないような状況でしたし、
そのころは非正規労働者というのもほとんどなかったです。
専門職のフリーランスというのはある意味憧れるけど誰も周りにいないって感じでしたしね。

ただ、1985年9月のプラザ合意で急激な円高が進んで当時から輸出に頼っていた富士重工は
世の中のバブル景気とはまったく裏腹に急速に業績悪化となってしまいますから、
ボクたち以降の1987年度以降は新卒採用を大幅に減らしてしまったので
富士重工に関して言えばそれ以降は就職氷河期に突入してしまっています。
逆に言えばボクはその富士重工の就職氷河期直前に滑り込みで入社できたわけです。


プラザ合意のタイミングだけでなく、その時の田島社長は日本興業銀行出身の方でありながらも
銀行家らしくなくイケイケドンドンで新卒も大量採用していたので
それもあってボクらの世代は誰でも入社できるような超ラッキーな状態となっていたわけです。

そのような状況であったので就職活動らしい活動はほとんどしませんでした。
大学の推薦をもらって春から初夏にかけての会社訪問をタテマエとする事前試験を受けると
かなりの確率で内定をもらうことができて、その後はよほどの不祥事でも起こさなければ
そのままタテマエ上の本採用試験と健康診断を受けて採用決定という流れでした。
要するに形骸化した就職協定があった時代ですね。
逆に言えば一人一社制という暗黙の就職協定もあったので何社も受けることもありませんでした。

 

ボクは大学入学時にはすでに自動車関連企業でエンジニアになりたいと漠然とは考えてましたが
自動車メーカーにするのか自動車関連部品メーカーにするのか
それともメーカー以外にもいろんな道があるのかどうかなど
細かいことまで決めていたわけでもないですしそれを考える情報も何も持ってませんでした。
まぁ幼いころからクルマそのものが好きでしたし中でもスバルは好きでしたけど
かといって好きなことを仕事にする辛さがあることもなんとなく分かってましたしね。

ただ、大学4年生で留年してじっくり考える時間もあった中で
敢えて好きなことを仕事にしようと決めました。
将来的な経済性など損得考えたら地元の自動車部品メーカーの方が有利なんでしょうけど。

しかし、在籍していた名古屋工業大学(名工大)から富士重工に入社した前例ってほぼゼロで
ボクより40年近く前のまだ名古屋高等工業学校だった頃の卒業生がいるはずという記録だけでした。
そんな昔だと富士重工という会社も出来たてほやほやの頃ってことになりますね。
それほど何の繋がりもない名工大と富士重工だったので就職指導担当の教授からは呆れられました。
最後は「そんなに行きたいならいちおう推薦状書いてやるけどどうなっても知らねぇぞ」と言われました。
どうなってもというのは、そもそも推薦状を受け取ってくれるかどうかも分からないし、
入社試験を受けさせてくれるかどうかも分からないし、
ましてや受かる保証なんてまったくないということですな。

そんな具合ですから、よくある卒業生による会社説明会、いわゆるOB訪問などもないですし、
そもそも大学の同級生でさえ「そんな会社あるの?」「富士重工って何作ってる会社?」とか
質問されてしまうくらいの存在感のなさでしたしね。
ですから、受かるかどうか・入社できるかどうかもある種の賭けでしたけど
その会社がほんとに納得できる会社かどうか・納得できる仕事ができるかどうも賭けでした。
賭けごとは嫌いですがこういうことには賭けないといけないというか
賭けて失敗してもそれは受けいる覚悟があればそれで逝くしかないでしょうからね。

まぁでもボクはその当時の状況というか単に雰囲気だけでなんとかなるだろうと楽観してました。
受からなかったら他になんでもいいからとりあえずなんか仕事には就けるだろうと
そのくらい甘ちゃんで考えていたのでしょうね。

 

実際には、富士重工の大宮製作所に会社訪問に行って
実際には簡単な筆記試験と面接試験を受けて、その後無事に内定をもらいました。
面接では大学の卒業論文である内燃機関の燃焼についての質問や
当時すでに所有していたスバル・ジャスティの印象などの質問ばかりで
まぁ面接官も質問しやすいだろうしボクも答えやすいということで
これらも有利な状況となっていたのかなと思います。

というか、前述のようにほぼ誰でも入社できたようなので有利も不利もなかったでしょうが(笑)
それでも1年留年したことでたまたま富士重工の大量採用年度と重なりラッキーでしたし
逆にさらに1年後だったら採用縮小でおそらく入社できなかったでしょうね。
もっとも結果的に入社できなかった方が幸せな人生となっていたかどうかは分かりませんが……

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コメント

自分も似たような年代に就職したので同じ展開でした
一社しか受けてないし、苦労もせず
で、そのまま転職することもなく今に至り、
こちらは更にまだまだ働き続けるわけですけど

仰る通り、この昭和終焉までのほんの数年間には不思議なタイミングを感じます
アルシオーネが現役で販売されていた最中
バブルのようないやらしさもなく、束の間の素敵な一瞬だったのかもしれませんね
再び訪れることはあるんでしょうか
あってほしいものですが

投稿: 五条銀吾 | 2020-03-09 16:19

>五条銀吾さん

あら、同世代くらいでしたか。

確かに入社当時の会社内の雰囲気はよく言えばほのぼのというのほほんとしてましたね。
ガツガツ、ピリピリしてなくて(親分の周りは異様な雰囲気でしたけど(笑))自由闊達な雰囲気もありましたね。
だから、スバル車もどこかおおらかなで、どこかハチャメチャなところがあったのだと思います。

日本の他メーカーには業績で負けていてもそれでも成長してきたし
いざとなれば興銀と日産が助けてくれるという甘えもあったのではないですかね。
それが、大幅赤字を出し、日産も傾き放出され……など何度も修羅場を見てきた今のスバルは、
そして自動運転・電動化・コネクテッドなど前途多難というかお先真っ暗ですから
再びおおらかさやハチャメチャさを取り戻すのは難しいかもしれないですね。

スバルだけでなくどこの自動車メーカーもかなり大変でしょうけどね。

投稿: JET | 2020-03-09 16:40

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