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新書「大論争 日本人の起源」を読了

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宝島社新書の「大論争 日本人の起源」斎藤成也、関野吉晴、片山一道、武光誠ほか著を読みました。

大論争とありますが様々な立場の専門家が侃侃諤諤の大論争をしている本というわけではなく
一部対談しているパートやインタビュー形式となっているパートもありますが
ほとんどはそれぞれの分野の専門家が書いたものを寄せ集めているものになります。

そして、ボクは斎藤成也武光誠片山一道の著した本を過去に読んでいるので
重複しているところも多いのかなということも考えたのですが
やはりこういうテーマは興味が尽きませんから読んでみました。

冒頭から斎藤成也著のゲノムデータからの日本人ルーツの話となります。
昨年読んだから読み飛ばしていけばよいかと思いきや……
2019年9月現在の筆者の考え方」としてまた新たな視点が書かれてました。

それまでは、縄文人と渡来人との混血による弥生人という二重構造モデルとされてたのが
その間の縄文時代後期に東アジアの大陸で水田稲作の拡大と人口増加により
大陸沿岸(半島も?)の漁業中心の「海の民」が日本に移り住むということが起きていて
それを三重構造モデルとして提唱しています。

確かに、縄文人でも河川中上流域での狩猟採集生活だけでなく「海の民」は多くいたらしいし
彼らには国の意識はまったくなかったでしょうから比較的容易に日本に移住したのでしょう。
漁業だけでなく貿易というか商業的な生業の人も多くいたのではないでしょうか。
そういう人たちが縄文後期から継続的に渡来して縄文人と混血していったとすれば
現代日本人のゲノムにおける縄文人からの割合が14~20%で残りは弥生人からというのも
すんなりと納得できるような気がしますね。
大陸沿岸からの漁民渡来人も大陸からの農民渡来人もゲノムは似たようなものでしょうから。

とってもすっきりしてこれだけでも読んだ甲斐があったと思えましたけど
同時にDNA解析研究の世界の目まぐるしい進展も垣間見えた気がしましたね。

そして、その次に片山一道著の「身体史観から読み解く日本列島人は、どこから来たのか」でも
縄文後期では「海の民」が増え、かつ地域色が薄まった(=交流がさかんになった)と
書かれていて、上記の三重構造モデルと符号するような感じです。

 

それよりもっと興味深かったのが、
ホモサピエンス(新人)以前に日本列島に日本人が来たかどうかという話です。
ボクはあまりそんなことは想像したこともなかったですが、
大陸では北京原人など新人以前の化石も発見されているわけですから
日本列島に来ていないとは言い切れないですよね。
ただ、旧人が日本にいたかどうかどちらも証拠が何もないので謎のままです。
将来何か分かると面白いでしょうね。

他にもいろいろと興味深いことが書いてあってかなり楽しめた一冊でした。

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