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「F1ビジネス戦記 ホンダ『最強』時代の真実」を読了

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集英社新書の「F1ビジネス戦記 ホンダ『最強』時代の真実」野口義修(よしのぶ)著を読みました。
2015年発行とさほど古くはないですが、ブックオフで中古本を買ってきたものです。

著者のことはまったく知らなかったのですが
ホンダF1第2期時代の広報渉外マネージャーを務めていた人だそうです。
華やかで煌びやかなF1の世界で、しかもホンダの黄金時代にその広報として活躍したわけですが
本人が表舞台に露出していたわけではないので一般人にはそれほど名が知られてはいないのでしょう。

そんなある意味裏方役であった著者がこの本を著した理由として、はじめにの中で
これまで、国内でF1やモーターレーシングについて紹介された情報のほとんどが、
 ドライバーや技術にかかわる内容だったと思う。
F1グランプリという世界には、それだけではない領域も存在することを、
 私は身を持って体験した。」ので「あらためて振り返ってみたい。」と書いています。

そうは言っても、ホンダF1第2期と言えば、セナ・プロ対決の時代であり、
ヨーロッパのF1文化vs日本のホンダ、ヨーロッバのドライバーvsブラジル人ドライバーという構図で
日本のメディアがこぞってホンダとセナをヒーローに祀り上げていた時代ですから
アイルトン・セナについての記述も第1章から多く割いています。

そして、セナに初めて会った時の印象を以下のように記しています。(以下引用)

 セナに会った瞬間、私はひどく重々しいものを感じた。この男は、極端に凝縮された人
生を生きている――そんなオーラが伝わってきたのだ。瞬間的に“死”という言葉が脳裏
よ過ったが、頭を振ってその考えを消そうとした。        (引用終わり)

そんなオーラがセナを神格化させる原動力であったのも事実なのでしょうが
やはりTVを通して見るボクにもその“死”というものをセナから感じとっていたのも確かですね。
ただ、F1ドライバーは常に“死”と対峙しているとも言えるのでしょうけど
セナは例の事故の直前までは死を恐れないドライバーであったのでしょう。
実際に平気で命に係わるような危険なセッティングを要求してきたともこの本で書かれています。
だからこそ平気で危険な故意の幅寄せをしたり追突したりもしていたわけですが
それが例の事故の前日のラッツェンバーガーの事故死で急に“死”を身近に意識してしまったことで
セナ本人が困惑し“死”に向かって突き進むことになってしまったのではないでしょうか。

 

さて、セナではなくホンダの話です。こんなことも書かれてます。(以下引用)

「ホンダがレースに参戦すると、そのレースはなくなる」という意見もあった。「ホンダ
の歩いた後にはペンペン草も生えない」という陰口も聞こえたが、勝って、勝って、勝ち
まくることが重要と思っていた私は、悪い気はしなかった。
 ホンダ第一期F1時代を推進した中村良夫氏から、こんなふうに言われたことがある。
「レースは勝ったり、負けたり、勝ったり、勝ったり、負けたりですよ」と。だが、当時
の我々は「とんでもない! 全戦全勝だ」と息巻いていた。いま考えれば、レースに精通
していた中村氏や、レースを興行する立場の人からすれば、ホンダはとんでもない思考回
路の集団に映ったことだと思う。                (引用終わり)

本当にホンダはこの時代、なりふり構わず全社挙げて全戦全勝を目指していたんですね。
そのためにウィリアムズを捨ててマクラーレンと組んで、プロストがいるのにセナも入れ、
大金もどんどん注ぎ込んで勝ちに行ったことなども書かれています。
それでも(ボクが尊敬する)中村さんは分かっていたんですねぇ、F1が何かを(笑)

それなのに、ホンダはバブル崩壊と同時にF1休止をします。 
それについても以下のように書かれています。           (以下引用)

 東京で記者会見を行なった川本社長は、「本来のレースの意義がなくなってきたんです
ね、人気が出て来たものだから、世間は、F1グランプリでホンダが勝つものだ、という
期待を常にかけてくる」とコメントした。             (引用終わり)

ただ、それだけが理由ではなく、やはりバブルがはじけて資金的な問題があったり、
それにもまして「研究所のメンバーたちから、疲弊感と、守りに入らざるをえない苦渋が
あったというのです。

結局、ホンダの勝手な「なりふり構わず勝ちまくれ」が自ら自身を疲弊させ、
ヨーロッパのF1文化に亀裂を入れ、セナ・プロというドライバーの人生を狂わせ、
日本のF1文化をバブルではじけさせて終わったということでしょう。

それを後年、川本社長も「過ぎたるは及ばざるに劣れり」と感じたと記されています。

 

ホンダF1第3期、第4期(現在)活動がそれを糧にしている結果なのかどうかは分かりませんし
逆にF1自体がもうそのようなものではなくなっているとも感じますしね。

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コメント

うーん、何ともコメントしようがないですね。いろんな人に話ききましたが。

投稿: TOMO | 2019-11-02 14:33

>TOMOさん

まぁ人によっていろいろ見方・考え方があるでしょうね。
そこにどの程度関わっていたか、あるいはどのような形で関わっていたか
にもよって違ってくるでしょうしね。

でもいろんな人に話聞けたというのはある意味羨ましいです。

投稿: JET | 2019-11-02 15:37

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