昨日は、桐生氏のゆかりの史跡を巡るツアーに参加してきた
昨日の日記に少し書いたように、昨日の午前中は桐生市へじゅごんで行って
「謎の梅原館・桐生のルーツをめぐる 秋の桐生史跡めぐり&講演会」に参加してきました。
このイベントは桐生観光協会と桐生市(都市計画課・観光交流課)の共催となってますが
特に桐生市民でなくとも参加できるということで、事前応募して参加費¥300での参加です。
集合場所は、群馬大学桐生キャンパスのもう少し北側にある桐生山鳳仙寺(ほうせんじ)です。
鳳仙寺の説明をする前に、このツアーのお題である「桐生氏」について簡単に整理しておきましょう。
この時の講演でも桐生氏のルーツの話は出てきてますし、折に触れ書いてたりしますが、
まず歴史記録上に最初に出てくるのが、12世紀後半の前桐生氏の桐生六郎ですがすぐ途絶えます。
次に後桐生氏(佐野桐生氏)が出て10代ほど続きますが16世紀末ごろに途絶えます。
ここまでが史実で明らかになっているところですが、ボクの家の先祖書によると
その後上杉謙信・景勝から桐生氏を賜って名乗ったのがボクの先祖で
ボクはここではかってに新桐生氏と呼ぶことにしましょう(笑)
さて、最初の集合場所である桐生山鳳仙寺ですが
ここは1574年に当時の桐生城主・由良成繁が開山した曹洞宗のお寺です。
由良成繁は隣の太田市にある金山城の城主でもあるのですが
それまで桐生城(柄杓山城 )の城主でもあった後桐生氏(佐野桐生氏)を1573年に攻め滅ぼし
桐生城をもぶんどって城主の座に居座った人です。
なんて書き方をすると先祖の恨みでもありそうな感じになってしまいますが
後桐生氏と新桐生氏は血縁はありませんのでそんな気持ちもさらさらありません(笑)
寺は外も中もかなり立派な造りとなっていますし
それらをほぼ全て見せてもらうことができました。
右の画像の首だけの地蔵尊は一瞬ぎょっとしますが
新田義貞奉納の寺宝となっているものだそうです。
どうして新田義貞なのかというと、由良氏は元・横瀬氏を名乗のり新田氏の流れなのです。
左上に見える提灯に描いてある家紋も新田氏と共通する丸内一ツ引ですね。
ちなみに、ボクの家でも同じ家紋ですし宗派は曹洞宗ですから
倒された方の後桐生氏よりも倒した方の由良氏の方がボクの家系と関わりが強いのでしょうね。
その由良成繁のお墓がこの鳳仙寺にあります。
由良成繁の没年は1578年ですから、桐生城の城主として桐生にいたのは何年もなかったんですね。
さて、その後歩いていって梅原館址と梅原薬師堂を見学します。
梅原館址はほとんど何も残ってませんが、前桐生氏(切生の六郎)が本拠地とした館です。
その守護神として祭祀されたのが梅原薬師堂でこちらはきちんと保存されています。
本日は特別に薬師十二神将五躰の尊像などを拝見できました。
なお、梅原館はその後、後桐生氏、由良氏の館・下屋敷としても使われたようです。
そこで、この地が「桐生発祥の地」とされています。
薬師堂の隣の公民館内で30分ほどの講演会を聴きました。
「梅原館の時代背景から見た桐生市」というお題で平塚貞作講師が
前桐生氏・桐生六郎を中心にして駆け足での講演でした。
講演後に少し講師の方とお話をさせていただき、
ボクの家系は後桐生氏滅亡後に上杉謙信・景勝から桐生姓を賜り
幕末まで上杉家に仕えたことなどを話したら非常に驚かれていました。
やはり、新桐生氏は歴史の表舞台にはなかなか出なかったのでしょう。
それでも、上杉謙信は後桐生氏にかなり信頼を寄せていたということを訊き
おそらく上杉謙信から桐生姓を賜ったということはかなり名誉のことだっただろうとのことです。
まぁ真相は分かりませんがご先祖を褒められれば悪い気はしませんね(汗)
さて、その後も歩いて、途中昔の桐生城下町の通りを通りながら梅田山西方寺に向かいます。
ここは臨済宗のお寺で後桐生氏初代の桐生国綱が建立したお寺です。(開山は別の人)
最初は浄土宗だったそうですが、浄土宗は修行を否定してるので
武家とは相性が良くないから3代桐生豊綱が臨済宗に改宗したとのことです。
そんなわけですから、このお寺には桐生氏累代の墓があります。
塔のように建って並んでいるのが桐生氏累代の墓です。
ただ、何度も書いてますけどボクの先祖とは無関係の桐生氏ですけど、お参りしておきました。
そして、その後またぶらぶら歩いて鳳仙寺まで戻ってきて桐生ツアーは終了となりました。
講演含めて3時間弱、歩いたのは2kmほどでしょうけど、
登り下り・階段ありでそこそこいい運動になりました(高齢参加者には酷だったかも)し、
なかなか興味深くて勉強になった一日(半日?)となりました。
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コメント
歴史好きにはたまらないツアーですね。
おもしろそうだなぁ~・・・。
投稿: おおたけ | 2019-11-11 17:47
>おおたけさん
ボク自身はそれほど歴史に詳しいわけではないですし
桐生市民でもないのでガイドの人が「あそこの何丁目の〇〇屋に向かいの……」とか説明されてもポカンとしてましたけどね(汗)
投稿: JET | 2019-11-11 17:51