新田荘遺跡めぐりをしてきました
先日の日本史セミナーで紹介されていた新田荘遺跡のあれこれを見て回ってきました。
久しぶりのプジョチャリでの出撃です。
まずは総持寺(威徳山陀羅尼院総持寺)です。
もとは新田氏の館跡に建てられた真言宗寺院です。
新田氏について書かれた石碑があります。
中島知久平が寄贈したもののようです。
総持寺のすぐ近くにも長楽寺、世良田東照宮という2つの新田荘遺跡がありますが
この時にも訪れていますから今回はスルーすることにします。
次は明王院(呑嶺山明王院安養寺)です。
ここも新田氏館跡で新田義貞が住んでいたというのが有力説だそうです。
境内からは新田義貞の弟脇屋義助を供養した板碑が出土しガラス越しに見ることができました。
しかし、写真撮ったらガラスに前の建物が反射してしまい上手く撮れませんでしたorz
右下の画像のピラミッド状のものは千体不動塔です。
明王院の近くにある「義貞駒つなぎの松」です。
新田義貞が鎌倉幕府を討つため生品神社で挙兵して利根川を越える前に
ここで休憩したとされる場所だそうです。
ただし、樹齢からするとこの松は何代か植え替えられたものと考えられているようです。
なお、生品神社もこの時に行きましたから今回はパスします。
次は円福寺(御室山金剛院円福寺)と十二所神社です。同じ敷地にあります。
ここには新田氏累代の墓と伝えられる多層塔や五輪塔群があります。
十二所神社の社殿には16体の神像が安置されているらしいですが見ることはできませんでした。
円福寺の近くに「新田義貞生誕の地」があります。
石碑があるだけですが、ここも元新田氏館だったそうで、台源氏館となっています。
だいぶ疲れてきました(笑)。反町館跡です。
ここに来てみて、あっ以前に来たことがあったことに気づきましたorz
立派な堀もあり、単なる住居というより城だったのでしょう。
今は照明寺(瑠璃山妙光院照明寺)となっています。
境内にも新田氏に関する石碑がありましたが読めませんでしたorz
さてこれで最後です。江田館跡です。
更地になっているだけですが、堀が巡らされています。
いやはや疲れました。
実はこの他に旧中島家住宅の再訪と麺紀行もしたのですがそれは別記事にさせていただきます。
なんだかんだと迷ったり回り道したりもして本日は55kmほど走ってしまいました。
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