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スワップミート@道の駅おおた と 大和芋ラーメン

第5日曜日には(年間に何度もないですが)道の駅おおたの駐車場で
クルマ関連のスワップミートが開かれているそうなので
どんなものなのか興味本位でちょっいと覘きに行ってきました。

もう旧車に乗っているわけでもないので旧いパーツとかには興味はないですが
プラモやミニカーやちょっとしたアンティーク小物みたいなものがあれば面白いかなというノリです。
自宅から15kmほどですし、もし何か買っても運搬に困らないように
お買い物自転車のルイルイで向かいました。

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左:全体にそんなに大盛況ってほどではありませんね。
中:自作サイドカー5万円って……微笑ましいし、ルイルイでは運べませんね(笑)
右:よく分かりませんが何故かヘッドライト磨いてました(驚)

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毎月、第2日曜日にはクルマのミーティングも開催されているようですが
この日もちょっと変わったクルマが駐車されていました。
出品者のクルマなのか買いに来た人のクルマなのかたまたま訪れた人のクルマかは分かりませんけどね。
あっ右のクルマはつい先日にもお会いした知人のtakix1夫妻のホンダ・バーキン(?)ですな。

 

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道の駅おおたはレストランなどは併設されていませんので
帰りがけに近くで麺紀行しようと幾つかの店をピックアップしておいたのですが、
道の駅のキッチンカーで気になったラーメンがあったので手軽にそこで済ませることにしました。

「上州大和芋らーめん」の「やまといも正油ラーメン」¥600です。
ここのラーメンの麺は大和芋の粉末を練り込んでいる自家製麺だそうで、
やまといも正油ラーメンはその麺を使ってさらに千切り大和芋をトッピングしているとのことです。

ちなみに、大和芋は群馬県太田市の尾島地区の名産といわれているそうで
この地区には大和芋専門も和食屋さんなどもあるらしいですし、
道の駅おおたの物産店でも大和芋を売っています。

ただし、ここでいう大和芋は関東での呼び名であって全国的にいう塊状した大和芋とは違って
長かったり平べったかったりする銀杏芋というものなのだそうです。ややこしい。
それでもすりおろすといわゆるとろろ芋になりますし同じ「やまのいも類」に属しているそうです。

さて、そのやまといも正油ラーメンですが、スープの味はいわゆる昔懐かし系といいたい感じです。
若干の化学調味料的味わいを感じますがそれをかきけすほどのダシ感もあります。
大和芋の粉末を練り込んだという麺は佐野ラーメン風のやや平麺で縮れ・捩じれが強めで
表面がぬるっとしていて柔らかいですがプルンプルンしたコシの強い食感です。
これはなかなか素晴らしい! なかなか他では味わえない麺です。しかもキッチンカーとは恐るべし。

トッピングの大和芋はネバネバ感はあまりなくシャキシャキしています。
そしてやや甘味を伴うものの明確に野性的な苦味と渋味も感じるというもので、好きですね、こういうの。
具の量も麺の量も思いの外多くて、予想外の大当たりの一杯でした(*^^)v

昨日は安直に流れて失敗しましたが、今日はそれが大吉と出ましたね。
分からないものです。だから麺紀行は面白くてやめられないのですよ。

いい気になって、物産店で「上州名物ねばねば大和芋やきまんじゅうジェラート」¥300も購入。
味は確かに大和芋を感じさせるほろ苦さは感じるものの
トルコアイスみたいにねばねば伸び~るってわけでもなく
ましてやどこが焼きまんじゅうなのかさっぱり分からないものでしたね。

 

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今日のおまけ:帰り道で気になるものを見つけました。「義平山清泉寺 悪源太義平の墓」です。
悪源太義平って誰? 悪の根源のような印象の人間なのか、なんてね。

源義平(みなもとのよしひら)のことだそうで、それでも誰ですか?ですけど、
源義朝の庶長子(長子だが嫡子ではない)で源頼朝、源義経(牛若丸)の異母兄にあたる人だそうです。
まぁ歴史には明るくないのであまりよく分からないんですけどね。
とはいえ、よほどの物好きな人でなければわざわざ訪れるような場所でもなさそうですが(汗)

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コメント

悪源太とはまた渋い。
おおたけもうろおぼえですが絶頂期の平清盛に反旗を翻した人物です。
あまりに強くて悪源太と平氏側から言われたと記憶してます。
確か京で捕えられ斬首されたはずです。
群馬県にお墓があるとは知りませんでした。

投稿: おおたけ | 2019-09-30 18:38

>おおたけさん

さすが、博学ですね。恐れ入ります。
当時のお墓は一箇所とは限りませんので群馬県にだけあるわけでもないかも知れないですね。

投稿: JET | 2019-09-30 19:16

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