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79Vはリアの嵩上げを廃止しちゃった(4)

前回の(3)で予告しましたので(笑)、今回は
79V(初代スバル・フォレスター)の操安乗り心地開発においてリアサスの嵩上げを廃止して
当初の狙いの他に結果オーライでラッキーだったことを書いてみます。

79Vの開発がスタートした時点(1994年)では既に初代アウトバックがあり
それはレガシィをベースにフロントもリアも嵩上げをして大径タイヤを履かせたものでした。
その嵩上げするために高さ30mmの鋳鉄製のブロックを車体とサスクロの間に咬ませてました。
※サスクロ=サスペンション・クロスメンバーです。
フロントのサスクロもリアのサスクロも左右それぞれ前後に並んだ2本のボルト
つまり計4本のボルトでボディに取り付けられているのですが、
鋳鉄製ブロックはその前後に並んだ2本のボルトを1組として咬ませるようになってます。

しかし、そんな鋳鉄製ブロックは重いですしコストもかかります。
レガシィ系には少々コストを掛けられますし(社内的に何故かレガシィにはいつもお金をかけていた)
アウトバックは急造だったこともあって鋳鉄製ブロックによる嵩上げを選択したのでしょうが
売れるかどうかよく分からない79Vにそんなお金はかけられませんから
79Vでは丸パイプと板金によって嵩上げされたサスクロを造る計画になっていました。

ところが、79Vの台車(インプレッサ・ワゴンを改造した初期の試験車)が作られた時には
アウトバックはアメリカ生産だけで日本生産のレガシィ・グランドワゴンはまだ出でいなかったからか、
79Vの台車ではその鋳鉄製ブロックの代わりに直方体のアルミインゴット材が用いられてました。
それでも前後に並んだ2本のボルトを1組として咬ませていたのは同様です。
また、それなりに幅もあってボディ側、サスクロ側ともに締結面は十分広くなっていました。

実はこの嵩上げ方法の違いによってサスペンション剛性に大きな差がでていたんです。
B190825_1 
当時ボクが書いた報告書(のコピー)にポンチ絵があったのでここに載せておきます。
こうやって描いてみれば構造力学に馴染んだ人ならすぐにピンとくるかも知れませんが、
79Vの計画仕様ではサスクロ取り付け用ボルトが倒れやすく(傾きやすく)剛性不足となってしまうのです。

それが、台車仕様のアルミインゴットやアウトバック用の鋳鉄ブロックだと締結面が十分広いので
このボルトの倒れは抑えられるために剛性不足は問題にならないどころか
嵩上げしてないインプレッサやレガシィの状態よりもむしろ剛性が
かなり上がっている状態になっていたわけです。
つまり、このことがきっかけで、嵩上げしてない車種でもここのサスクロ締結面の剛性を上げてやると
操縦安定性が高まる可能性が大きいことを発見したというわけなんですね。

ということで、当時インプレッサの操安乗り心地を担当していた上司がそこに目をつけて
インプレッサも79Vも含めて全部サスクロ締結面の剛性アップを提案することにつながっていきます。

 

けれども、サスペンションの剛性っていうと単純に横(左右)方向に力が加わった時に
どれだけ横(左右)方向にずれたかという横剛性にしか着眼できないんですよね。
とにかく硬くすりゃそれでいいという考えなんですが、そんな単純な話ではないだろうと。

そう考えたボクは様々な計測をしてサスクロ本体の変形まで考慮して
さらに過渡的にどんな力が加わっていくからどう変形していって
それが操縦安定性の低下につながっているのかを考察して
その結果としてどのような補剛方法が有効であるかまで提案したんです。

そう、情けないことに当時のスバルにはそれを数値解析できる技術がなかったんですよ。
正直よくそれで設計者は設計できてたなと逆に感心してしまいましたけど(呆)
それにサスクロの剛性が不足しているのが大元の問題なので
本来はそこに手を付けるべきなんですけどね。

 

そんなわけで、これらのことに気が付かずに最初の計画のまま板金嵩上げしていたら
台車の次の1次試作車(当時は台車→1次試作車→3次試作車と開発が進んだ)で
滅茶苦茶に操縦安定性になっていてそこからかなりあたふたとした開発になってしまったでしょうが
実際には嵩上げもしなかったですし締結部の有効な補剛もできてさらに良くすることができた、
というラッキーな結末になったというわけです。

 

ちなみに、79Vではリアは嵩上げしませんでしたがフロントは嵩上げしています。
もちろんコスト優先ですから鋳鉄ブロックではなく板金での嵩上げです。
しかし、フロントのサスクロの締結ボルトは車体フレームを串刺しのように貫通しているので
フレームの上下で支えられているためにボルトの倒れは抑えられていて特に問題はなかったのです。

逆にリアのサスクロでも同様にフレーム貫通するようにボルトで締結すれば良いのですが
工場での作業性やコストなどの制約でそれはなかなか難しいんですね。

 

そうそう、そういえば、むかしボクが乗っていたスバル・ブラットですが
20mmのアルミインゴットでフロントの嵩上げの改造をしていました。
シャコタンにもしていたので嵩上げというよりクロメン下げをしていたというべきでしょうけど。
狙いはフロントのロールセンター下げとキャンバー角修正でした。

社員寮の青空駐車場で車載のパンタジャッキ使って自分で改造するという無茶してましたし
当然いろいろネガもあるのであくまでも自己責任ということになりますけどね。
あっ、結局そのまま次のオーナーに売り渡してしまったorz と今気づきましたorz orz
まぁ操縦安定性などは問題なかったですが、万が一今もそのまま生き残っているとすると
アルミインゴットなので異種金属接触腐食が気になるところではありますね。

 

さて、脱線してしまいましたが、今回の記事はここまでとします。
次回は嵩上げ以外にもやったことについて簡単に(?)触れたいと考えています。

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コメント

車両開発の過渡期ならではの試行錯誤が感じとれました。44Bが世に出て「富士重工がやっとまともなクルマを造った」と、皆が喜んでいた裏で、開発の現場ではまだまだ足りないところがあったんですね……。

投稿: よっさん | 2019-09-01 21:36

>よっさん

自動車開発の現場はいつでも試行錯誤の連続ですよね。

投稿: JET | 2019-09-02 05:26

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