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講演会「伊勢崎空襲の記憶」を聴講してきた

市内で無料開催された平和祈念講演会「伊勢崎空襲の記憶」を聴いてきました。
開催場所は伊勢崎市赤石楽舎です。
この時などにも行っている旧時報鐘楼があるところですね。

この旧時報鐘楼ってレンガ造りなんですけどなんでこんなに薄汚れた黒っぽいままなのか
もう少し赤みを帯びたレンガらしいものに綺麗にしてあげればいいのにと思っていたのですが、
そうじゃなくて伊勢崎空襲の時の大火で焼かれて黒っぽくなってしまったということを
今日初めて知りましたorz
確かに案内看板に戦争で一部消失したとは書かれてますけど
レンガが黒くなっている理由などもっと詳しく紹介した方がいいのになと思いましたね。

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あまり詳しい内容をしらずにふらっと聴きに行ったのですが、
一部から三部までに分かれていて2時間以上とそれなりにボリュームのあるものでした。

第一部は戦時中少年だったお二方の体験談を聴くもので、
第二部は伊勢崎空襲の模様をイラストと朗読で観賞し、
第三部では伊勢崎空襲の記録の説明という構成でした。

ちなみに、伊勢崎空襲とは第二次世界大戦において終戦目前の
昭和20年8月14日深夜から翌8月15日未明にかけて
群馬県伊勢崎市とその周辺地域にアメリカ軍が
焼夷弾での民間人への無差別殺戮を実施したものです。
ボクもつい先日まで知りませんでしたが、この時の赤堀歴史民俗資料館で知りました。

この伊勢崎空襲は同時に空襲された埼玉県熊谷市と並んで最後の日本本土空襲であり
アメリカ軍のいうところの「フィナーレ爆撃」であったとされています。
もうこの「フィナーレ爆撃」って言葉からしても結果的に最後になったのではなく
「締めくくり」とかさらには「有終の美」みたいな半ばお祭り騒ぎのような
アメリカのえげつなさを感じざるを得ませんね。

そもそも8月14日には日本はポツダム宣言受諾=無条件降伏をアメリカに伝えていたのです。
そして、どうやら空爆したB29パイロットの中にも
ニューヨークでは対日戦勝利記念を祝っているラジオニュースさえ伝わっていたようですから
それを知りつつ民間人への無差別殺戮を実行したというのは許されざる行為です。

しかも、より大量の民間人を殺戮するために市街地の南北両脇をまず空爆して
住民がその間の場所に逃げたころを見計らって
今度はその逃げて集まっている中心部分を狙って再度空爆する作戦をしたというのですから。。。茫然

 

ただし、この伊勢崎空襲で伊勢崎市街は焼け野原になってしまったのですが
その割には何千、何万人というような死者数はでなかったようです。
そこまでの大都市でもなかったのでしょうけど
それまでの太田市、前橋市などの周辺の空襲を目の当たりにしてきていたために
防空法による「逃げずに消火しろ!」ではなくて
「逃げるが勝ち」と多くの人がいち早く逃げたからなんだそうです。

それでも数十名の罪のない民間人が犠牲になり1万人近い人が罹災し
2000戸以上の家屋が焼失したというのですから
痛ましい歴史だったことに変わりはありませんね。

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