« 小エビことお買い物用三輪自転車を手放しました | トップページ | ペヤング「カレー南蛮やきそば」は辛いが旨かった »

新書「深層日本論 ヤマト少数民族という視座」を読了

B190612_1 
新潮新書の「深層日本論 ヤマト少数民族という視座」工藤隆著を読み終えました。

タイトルだけだと難しそうというか内容がつかみにくい本ですが、
見返し(表表紙の裏)に以下のように書かれています。(以下引用)

日本人は少数民族、すなわちヤマト少数民族である!そう捉えると様々な謎がとけてくる。なぜ粗末な穀物倉庫が伊勢神宮正殿となったのか。秘される大嘗祭で天皇は何をしているのか。今なお、無文字文化の名残を残す中国少数民族に、在りし日の日本の姿をみた碩学が、古事記、万葉集(和歌)、伊勢神宮、大嘗祭をめぐって、本当の“日本古来”とは何なのかを、遙か古代にまで遡って説く日本論の決定版。
                                  (引用終わり、改行位置変更)

なお、著者は漢字が導入される前の日本のことを敢えて
「大和」「倭」などと書かずに「ヤマト」と表記するとしています。
ただ、ボクなんかは「ヤマト」と書かれるとつい宇宙戦艦ヤマトをイメージしちゃうんですけどね(汗)
かといって、もちろんこの本を手に取ったのは宇宙戦艦ヤマトつながりではないのですが(笑)

最初から脱線気味となってしまいましたorz
表記は別としても、日本(倭)は古代から大陸の大国の冊封体制の影響下に置かれていたわけで
この点においては今なおチャイナ領土内に残る少数民族と同じような体制下にあったとも言え、
そういう視点から古代日本民族を捉えてみることが必要なのではないかということです。
だからといって、むろん、日本もチャイナの属国であったなどという
中華思想を支持するものでもないです。

そして、無文字文化の少数民族はいずれも自分たち民族の歴史・文化・伝統を
唄にのせて代々語り継いできているように
ヤマト少数民族も同様にそうしてきたはずで
それが古事記、万葉集などにも痕跡として残されているのではないかということで
それらの唄を手掛かりにヤマト少数民族という視点から
日本民族を捉えようというのが本書なわけです。
それによって等身大の日本像に迫ることができるという考えのようです。

 

確かに、ヤマト少数民族という視点というのは面白い考え方だと思いますし
むしろ正しい視点なのではないかとも思えます。
また唄で伝えられてきた歴史・文化・伝統というのはその通りではないかと思います。

ただ、結果的にそこから導き出されたのが、
「日本文化の、縄文・弥生期以来のアニミズム系文化およびムラ社会性・島国文化性が
 色濃く継承されていている基層部分」というのは
正直そのまますーと入って来ませんでしたね。

アニミズム(自然崇拝)もムラ社会も島国文化もよく日本らしさを表す言葉として用いられますし
それ自体にはあまり違和感を持たないのですが、
縄文・弥生は完全に断絶した(構成する民族が入れ替わった)わけではないけれども
やはりそれを一緒くたにしてしてまっていることに違和感があります。

縄文時代はアニミズムであっかかもしれませんが
弥生時代を経て古墳時代はシャーマニズムとも言えるし
ムラ社会は弥生時代ころの稲作から発生してきたものでしょうし
島国文化といっても国家意識なく漁労や交易をしていた海人たちと
国家を意識しだして日本内での紛争やら半島・大陸とのやりとりなどとは
一括りにしてしまうのは無理があるなと感じたからです。

 

つまり、考え方としては面白かったのですが
帯に書いてあるようにこれが「決定的日本論」といわれると
「はぁ~」となってしまうわけです。
もっとも、本の帯に書いてあることなんてどの本でもいい加減なことが多いのですけどね。

|

« 小エビことお買い物用三輪自転車を手放しました | トップページ | ペヤング「カレー南蛮やきそば」は辛いが旨かった »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 小エビことお買い物用三輪自転車を手放しました | トップページ | ペヤング「カレー南蛮やきそば」は辛いが旨かった »