黒保根の文化歴史講座「足利忠綱」を聴講
昨晩のことになりますが、
桐生市立黒保根公民館(桐生市役所黒保根支所)で開催された
文化歴史講座を聴講してきました。
お題は「忠綱神社の祭神『足利忠綱』」です。
桐生市といっても合併前は勢多郡黒保根村であった地域ですから
そうとうに山間に入って行ったところにあります。
といいますか、水沼温泉の近くといった方がいいですかね。
なので、わたらせ渓谷鐵道(わ鐵)で行くという手もありましたが
やはり便利なのはクルマということでAKB38で行ってきました。
帰宅時には予想外に雨に降られましたから
結果的にもクルマで行ったのは正解でした。
いちおう桐生市のイベントなのにどうしてこんな田舎で開催するのかと思いますが、
どうやら旧・黒保根村としての独自開催のイベントという位置づけなのでしょう。
そして、どうしして「足利忠綱」なのかというと
どうやら黒保根村に忠綱神社(忠綱大明神)と赤城大明神が合祀されている
小さな神社があるということで
そこから足利忠綱についての歴史をみていこうということのようでした。
ところでそもそも、足利忠綱って誰ってところです。
足利尊氏とかなら誰でも知っているくらいでしょうけど。。。
そして、足利氏は源氏の流れを汲んでいて新田氏も同じで
そしてボクの先祖も新田氏の流れということらしいので
どこかで繋がっているのかも……なんて興味から聴きに行ったわけですが、、、
どうやら足利忠綱は藤原氏(藤原鎌足)の直系にあたる人物であり
足利尊氏などの源氏の流れとは別であるため
藤姓(とうせい)足利氏の系譜と言われているのだそうです。
対する足利尊氏などは源姓足利氏ということになるわけです。
そして、足利忠綱は1163年頃に生まれた若くして無双の武将であり
1185年頃に亡くなったらしいのですが
その最期は諸説あってはっきりしていないようです。
足利市にある鑁阿寺に籠り、その後桐生市の現・梅田湖の辺りで
自害したとの伝説もありそこにも忠綱神社があるそうです。
その忠綱の父が足利俊綱であってその家臣に桐生六郎というのがいたのですが、
その桐生六郎が裏切って足利俊綱を殺してしまい、
その後に忠綱も亡くなり藤姓足利氏一族は途絶えてしまうのでした。
桐生六郎が主君俊綱を本当に裏切ったのかどうかは分からないものの
結局、(前期)桐生氏もここで途絶えるみたいなのですよね。
てなところも含めてなかなか興味深い講義となっていました。
それにしても、プロジェクターのピントはちゃんと合わせてほしいですね。
ボクの写真がピンボケなのではないんですよ(笑)
それにできれば台形補正とかもしてほしいし、
パワポじゃなくてPDF使うのもいいですが全画面表示にしてほしいですね。
というか、役所の方々はプロジェクターの使い方くらい理解しておいてほしいかな。
まっ、そんなところも田舎らしい微笑ましいのどかな状況でもあったのですけどね(笑)
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