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プラモ製作(92)初代レガシィRS

B190211_1
ハセガワの1/24スケールのスバル初代レガシィRSを作りました。

初代レガシィは1989年登場でありボクがスバルに入社した当時から
既に開発符号44Bとして開発が進められていました。
しかし、当時のボクは例のヘンテコな部署に配属されてましたので
この44Bの開発には直接関与することはありませんでした。

レガシィ10万km速度記録挑戦(RA)には参加しましたが
それでもエンジニアとして開発に参加したというよりも
あくまでも広告宣伝のために協力しただけで
本意ではない感覚を抱いていたこともあり
エンジニア目線としては
それほどの思い入れのある車種というわけではありません。

そして、この初代レガシィはどういうわけか今では
赤字富士重工を立て直して今のスバル(旧富士重工)の礎を築いた
救世主のような扱いをされてますが、
実態としてはこのブログでも幾度がふれているように
初代レガシィはスバルとしては高価格帯移行したため
特に主力市場のアメリカでは販売苦戦するとともに
超高コスト体質の車であったために売れば売るほど赤字といわれた車だったのです。

もちろん、だからといって売らずに在庫の山を積み上げていても
作らずに工場設備を遊ばせていたらもっと赤字になるので
売らざるを得ないし作らざるを得ないのですけどね。

当時は、そこに急激に進行する円高と
アメリカ工場建設やSKC(スバル研究実験センター)建設など
大型投資とのトリプルパンチによって企業として大きな赤字を出してしまったのです。

 

とは言え、ボクは初代レガシィをこき下ろしたいわけではありません。
企業収益という点では大きな問題でありましたが
クルマとしての機能・性能は当時のグローバルな基準に照らしても
まったく見劣りしないだけでなく部分的には
上位レベルのものを持っていたのは紛れもない事実です。
少なくとも、先代となる旧態依然のレオーネと比べると技術的にも
格段の進化を果たしていたのもこれまた事実です。

もっとも品質という面では初期の頃はいろいろと不具合が多くて
これまたリコールやらサービスキャンペーンやらで
お客様に多大な迷惑を掛けるとともに
多額の費用を要して企業収益を圧迫することになってしまったのですが……

それでも、徐々にVA(要はコストダウン)と品質改善も進み
やっと売れば売るほど赤字の車からは脱却することができたのでした。
というのが本当の初代レガシィの姿なのです。

 

それと、この44Bの台車(先代レオーネの形をしながら機能部品は44B用のものを
組み付けたもっとも最初期に作られる試作車)を試乗する機会があった時、
4WS(四輪操舵)の同相操舵かと勘違いするほどの
横っ飛びするような操縦性と安定性を兼ね備えたハンドリングに驚愕したのですが、
何故だか量産されたレガシィにはその面影がなくなってしまい
やたらとズルズルとテールハッピーなハンドリングになってしまっていたのは
至極残念でしたね。

後になってから、開発していた人から聞いた話では
やはり不本意ながら量産ではあんなになってしまったと語っていましたがorz

 

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さて、プラモデル・キットの方です。
もともとハセガワからは1992年ごろにキット化されたものですが
今回製作したのはLIMITED EDITIONとして2018年に再販されたものです。
実は1992年製造のものも当時買って積んであるのですが
保管状態が良くなくてボディの変形やデカールの劣化が認められたので
まずは問題のない再販のものから作ることにしたわけです。

古いキットは気力があれば何か別バージョンとして作ろうかと思います。

 

ボティ色は無難に(?)メタリック・ブラックとしました。
初代レガシィはZラインとか自虐的に称したように窓肩ラインが
リアドアガラスで段差になっていてそれを隠すようにエンブレムが付いていたりと
とにかくボディラインやキャラクターラインがスムーズでなくガタガタで
それを隠すようプラスチックカバーやエンブレムなどを多用するデザインなので
明るいボディ色だとそれらのものがやたらと目立って汚い印象になるんですよね。

これは何も模型だけに限った話ではなく実車がそうなので
結局は黒っぽい車がレガシィ、特にレガシィのセダンでは無難な色と思うんです。
ちなみに、機能優先の無骨なスバルなんてイメージながら
機能的には何の意味もないそんなプラスチックパーツを多用しているのも
高コスト体質に陥った原因のひとつであるんですよね。
あっ、またキットの話ではなく実車の話になってしまいました(汗)

 

ボンネットは開けられず自慢の(?)EJ20ターボ・エンジンも拝めませんが
下回りや足回りはそれなりにきちんとレガシィの特徴を捉えた
精緻な作りになっていて作り甲斐もあります。

ただ、ハセガワのキットって、はめあい公差が非常にきつくて
そこに僅かなバリとかあっても組み付けられないものが多くて手間取りましたね。
それと全周一体のクリアー・ウインドゥパーツがボディより若干大きく
どうしてもフィット感が出なかったのが少々残念なところですかね。

全体的にはそれなりにちゃんと作れたと思います。

 

なお、毎度のことですがJET-PHOTO の方にもう少し詳細な画像を載せています。
今回のレガシィRSはこちらの「スバル」から見ることができます。

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コメント

紺色のRSを乗ってました。
この車はいろんな背景があったのですね。

投稿: Jay | 2019-03-25 17:05

>Jayさん

あら、意外な感じをもちました。

当時はこんなでっかい車って思ってましたけど
でもれっきとした5ナンバーサイズなんですよね。
今ではコンパクトセダンと呼べなくもないか。

投稿: JET | 2019-03-25 17:25

私も1992年製造のワゴンを積んでますが、本当に作るなら再販のを買い直そうと思ってました。

ウィンドウのラインは雑誌などには「秀逸なデザイン」と紹介されることがありますが、JETさんの説明の方がしっくりきます。(^^;)
まだセダンはSVXの段付きデザインの踏襲と思えなくもないですが、ワゴンのリアゲートでガラスが大きく下がっているのはデザインとしてはあまり好きじゃないんですよ。デザインではなく、後方視界のためにガラスを下げたのなら仕方ないですけど。

まぁ、それでも良い車だと思いますし、プラモも出来れば1.8L Ti-SXに改造して作りたいと妄想だけはしています。

投稿: ぶらっと | 2019-03-28 09:11

>ぶらっとさん

ワゴンは3箱積んであるんですよ(笑)
なので1箱は作りましたから近いうちに記事にします。

ワゴンの前期型はそのリアウインドゥの段差を隠すために
妙なステッカーが貼られてましたけどね。

投稿: JET | 2019-03-28 09:22

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