先祖書(のコピー)が存在していた
古い書体で書かれていたりするので
よく分からないところだらけなのですが、
なかなか興味深いとこも多々ありました。
真ん中右寄りに「祖先新田苗裔(びょうえい)首尾不詳」の文字があります。
つまり、祖先は新田氏の末裔だけど詳細はまったく分からないということです。
新田氏と言えば……元・勤務先に北海道出身の同僚がいましたが
まぁその方との関係はともかくとして、
現・群馬県伊勢崎市と太田市の間にある旧新田町あたりが出自であり
一説では徳川家も新田氏の流れを汲むとのことで
新田荘や徳川東照宮、世良田東照宮などが今なお存在している地域です。
ボクの母親いわく、その辺りの古いお寺には
祖先の銘が刻まれたお墓が幾つもあったらしいです。
もしかしたら、この上品(じょうぼん)とも関係あるかもしれないです。
少し距離的に離れてますけどね。
それに、家紋も新田家のものとよく似ていますから
なんらかの流れがあるのもあながちでっちあげとも言い切れませんね。
そして、真ん中左寄りに「景勝」の文字が見えます。
これは生前の父親から聞いたことがあったのですが
上杉謙信の二代目(養子)の上杉景勝のことで
ここで(1594年に)桐生の氏を賜って桐生秀利として桐生家がはじまるわけです。
もっとも、ネットでググるとそれ以前に前期桐生氏と後期桐生氏(佐野桐生)が存在し、
その後期桐生氏が途絶えるのが1593年と記されてますから、
ボクの祖先はそれとはまた別系統ということになりますね。
なんらかの繋がりがあった可能性もありますが。
なんにせよ、祖先を辿ると桐生市よりも旧・新田町に行きつくというのは
面白い発見でした。
しかし、それよりもっと驚いたことが発覚したのでした。
これは、先祖書に書かれていたことではないのですが、
ボクの母親が義理の母(ボクからは父方の祖母)から聞いた話として
ボクの父親は米沢で生まれて幼少期をそこで過ごしたのち
群馬県伊勢崎市で数年暮らしていて
その後に愛知県半田市→愛知県武豊町に引っ越したというのです。
つまり、ボクが今住んでいる伊勢崎市に父親も居たことがあるというのです!
これは初耳で驚きましたよ。
父からは米沢で過ごした子供の頃の話は聞かされてましたが
群馬県での話はいっさい聞いたことがなかったです。
よほど嫌な想い出があったのかそれとも印象に残ることがなかったのか。。。
おそらく後者でしょうけどね。子供の頃の記憶ってそんなものでしょうし。
もともと上杉家に仕えていたので幕末は幕府軍について戦い
白虎隊にも名を連ねて米沢で明治維新を向かえたため
その後も米沢に住んでいてそれで父親も昭和初期に米沢で生まれたわけですが、
どうもその後に群馬県伊勢崎市に引っ越して紡績工場をやりだしたそうです。
確かにその時代は伊勢崎銘仙、桐生織物などで繁栄していたころです。
けれど、武家出身者が上手く商売できるほど甘くはなく
すぐに潰れてしまったそうで、
その後に愛知県半田市の紡績会社(石川紡績?)からの誘いをうけて
そこに引っ越して(祖父が)働くようになったとのことです。
これが事実かどうか分かりませんが、時代背景的には整合していますね。
というわけで、先祖の出自としても父親の痕跡としても
ここ伊勢崎市はなにかと縁があるようで
ちょっと驚いている次第であります。
おまけとしてこんな写真も出てきました(笑)
ボクが2歳、3歳のころでしょうから、モザイクかける必要はないでしょう。
左のは場所が不明ですが東京に住んでたころですかね。
右のは愛知県の某幼稚園ですかね。「運転手はボクだ!」ってか(^O^)/
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コメント
JETさんも東北に関係があったんですね。
東北に足が向くのはJETさんに流れてる先祖の血が呼ぶのかな・・(^^♪
投稿: おおたけ | 2019-02-22 19:30
>おおたけさん
あはは、そうかもしれないですね。
ただ、先祖の血といっても武士としての戦も武士道としても
そっちの血は勘弁してほしいと思う、
そんな軟弱な精神の持ち主なんですけどね(笑)
投稿: JET | 2019-02-22 19:39