2代目ドミンゴの操安乗開発に携わった
前回の記事で、スバルの操安乗り心地を開発・実験する部署に異動しても
コロコロと担当車種が変わったり途中でプロジェクトが中止になったりして
腰を落ち着けて仕事をしている気持ちを持てずに
フラフラしていたことを書きました。
今回はその後の昔話をしてみたいと思います。
幻の2代目ジャスティ(77S)の操安乗開発に携わっている時も
いちおうサンバー&ドミンゴの操安乗開発も兼任するという形でした。
ただし、その頃はサンバーは5代目が発売された後なので
フルモデルチェンジなどの企画もまったくない状況だったので
VAと市場不具合対応がメインの業務でした。
また、(2代目)ドミンゴの開発もまだ本格化していなかったので
ひとりで兼任という形でもそれほど大変だったわけではありませんでした。
ところが77S開発は1年ほどで中止となり
替わりに2代目ドミンゴの開発が本格化することになります。
77Sはアメリカ市場でのCAFE(企業燃費)対応を強く意識して
儲からなくとも売らなければならない車種との位置づけで開発スタートしたものの
法規動向などが変わってあまり優先度が高くなくなってしまったのでしょう。
欧州市場ではBセグメントは必要でしたけどそれはOEMで凌ごうとして
それよりも独自色の強いドミンゴを欧州で売ることを優先しようという考えだったのでしょう。
その2代目ドミンゴの開発コードは69Dでした。
開発コードは意味のないものとされていますが
それにしてもこのネーミングセンスには驚かされましたね。
「ろくでなし」だし「シックスティーナイ○」ですからね(笑)
69Dは5代目サンバーの乗用ワンボックスであるサンバー・ディアスをベースに
3列シート7人乗り仕様としてエンジンを3気筒1.2Lに載せ替えたクルマです。
衝突対応するためにサンバーよりも大きなフロントバンパーにしていて
(バンパーだけでなくフレーム前端も大幅に強化してありますが)
横から見ると大きく突き出たバンパーを指して
「イカリヤチョースケ」なんて社内で呼ばれたりもしてましたね(汗)
もともとサンバーなどの軽ワンボックスはトレッド幅が狭くて
背(全高)が高くつまり重心も高いので耐転覆性能を確保するのが難しいのですが、
69Dは高いところに7人も乗るわけですからさらに難しくなります。
また、サンバーはリアエンジンで重心位置が後ろ寄りなので
安定性、特に横風安定性の確保が課題になりますが、
69Dは3列目のシートに3人も乗るとさらに重心位置が後ろ寄りになり厳しくなります。
日本だけでなく速度無制限のアウトバーンでも使われることになる69Dでは
高速の安定性はサンバー以上に求められます。
(といってもせいぜい140km/hくらいまでしか出ませんが(笑))
このような非常に不利な諸元を持っている難しく奇異なクルマの69Dですが
その操安乗り心地開発に携われたことはとても勉強になりましたね。
この69Dの開発では初めて海外走行試験にも行きました。
(レガシィ10万km速度記録挑戦が初めての海外出張でしたが)
前述のように横風安定性が課題なので風の強い地域と言えば
風車の国だろうということでオランダへも行きました。
ドイツではトーイング(牽引)の試験もしたのですが
欧州駐在所にはご覧のような大型のトレーラー(キャリアカー)しかなく
見るからに異様な状態でアウトバーンを走っていましたね。
ちなみにドミンゴのトーイングは750kgまでとなっていますから
本来は大八車(リアカー)くらいの1軸のトレーラーまでです。
ドミンゴでもニュルブルクリンク(NBR)で試験したことにしようと(笑)
(本音としては一度NBRを走ってみたかったから)
濃霧で次のコーナーが左右どちらかも分からない状態なのに
走り慣れた現地の人が助手席から左右を指さして教えてもらいながら
NBRの北コースを走ったのはネタとしては良い思い出です。
しかもこの時は何故かグランプリコースまで走れたのです。
NBRのGPコースを走ったことのある日本人はそうそういないでしょうからね。
長距離のトリップでの官能評価や問題出しを名目として
ドイツからフランス・パリまで走ったりもしました。
まだ、EUではなかったので国境検問で止められて
日本人が変な車に計測器載せてにっくきドイツから入ろうとしたからか
フランスには入れてもらえず
ぐるっと回り道して別の国境からフランス入りするなんてアクシデントもありましたね。
クリスマスシーズンに突入していた季節なので
パリの街中は電飾されサンタさんの恰好した人がウロウロしてました。
というのもあってシャンゼリゼ通りで浮かれてこんな写真を撮ったのですが
これでは単なる観光旅行みたいですな(汗)
そういえば、日本へ戻るのがクリスマス・イブの日だったのですが
ドイツ・フランクフルト空港内のほとんどの飲食店・土産物店が
閉店ガラガラ状態になっていて腹は空くし小銭も使いきれなくて散々でした。
クリスマスは家族で過ごすのが当然なのでしょうけどね。
ただ、帰りの飛行機内ではターキーの特別メニューが提供されましたけど。
そして、69Dは無事に発売されることになりました。
日本国内でもささやかに雑誌メディアや評論家向けの発表試乗会をしました。
確か山中湖畔の小さな中華料理屋さんとその周辺だったかな。
メディア向けだったのにも関わらず
たまたま近くを通りかかった一般の方が息せき切って入り込んできて
ドミンゴ・ファンなんですよと目を輝かせて話こんで来たのには驚きましたね。
まぁ確かに当時は唯一無二の存在だったクルマですけどね。
ドミンゴはそんな超マイナーな存在でしたけど
それでもボクにとっては最初から発売まで開発に携わったクルマであり
富士重工(スバル)に入社して初めてまともな仕事を
ひとつ成し遂げたという思いを持つ事ができたものとなりました。
そして、ボクは独身者ですからこのドミンゴを所有するような環境にはいませんでしたが
友人が持っていてたまにキャンプに行ったりするときにみんなで乗る機会がありました。
意外にこの小さなクルマに6人とか乗って走るのって好きでしたね。
大きなクルマにふんぞり返って乗っているよりは
気の合う仲間や家族なら小さい空間で
近い距離感の方が楽しい面がありますものね。
ただ、ドミンゴはこの2代目が最後となってしまいました。
正直、ちょっと寂しいってな気持ちはありますね。
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コメント
2代目ドミンゴは叔父が乗っていたことっもあって、少なからず縁があったりします。
5人家族の足車としては良いコンセプトで好きですよ。軽じゃ物足りないですから。
投稿: はら坊 | 2018-12-30 06:38
>はら坊さん
身近の方にドミンゴ・オーナーがいらしたのですね。
あら珍しい(笑)
一人で運転していてもムダ感もなくそれでいて必要な時は5,6人乗れる
という意味では今はホンダ・フリードなどが主役でしょうね。
投稿: JET | 2018-12-30 07:41