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「福壽院の和時計」を観てきた

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伊勢崎市赤堀歴史民俗資料館にて今日から11月8日までの期間で
伊勢崎市の福壽院宝存寺(ふくじゅいんほうぞんじ)所蔵の
和時計を公開展示しているというので早速観に行ってきました。

ここの赤堀歴史民俗資料館はこの時にも来ていますので
常設展示は既に見尽くした感はありますけど
なんせ入場無料ですから何度来てもいいでしょう。

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これがその「福壽院の和時計」です。
説明資料が置いてあったので、多分著作権うんぬんはないでしょうから
ちょっと長くなりますがその内容をここに転載しておきましょう。

  江戸時代以前の日本では、季節によって昼夜の時間が変化する「不定時法」が用い
られていた。これを機械時計で実現させるために、1600年代後半から明治時代初期に
製作されたものを和時計と呼ぶ。明治5年(1972)に定時法が採用されるまで、和時計は
高い技術力を駆使し、様々な工夫を凝らした、日本独自のものとして考案されてきた。
 福壽院の和時計は、和時計の代表的な表示方法である割駒文字盤を持った一挺天符
(いっちょうてんぷ)時計であり、現状では櫓(やぐら)の上に時計が設置された櫓時計の
状態を呈している。櫓を除いた時計の全高は41cm、幅は15.8cmである。この和時計の
箱枠と内部の歯車はほぼ鉄製であり、これらが真鍮製の前板及び側板で覆われている。
円形の文字盤は、真鍮製で、駒と呼ばれる時刻を表す文字が24個配されている。この駒
は銀製である。時計上部に設置されている青銅製の鐘は、底径15.7cm、深さ9.1cmで
あり、深椀型を呈している。これらの材質や作り、形状は、初期の和時計の特徴である。
一方、割駒文字盤は、1800年代から多く製作された枕時計等で見られる。初期の和時計
でありながら割駒文字盤となっている点、さらに文字盤に掛かる枝金を用いた目覚まし
機能を有している点、文字盤下の小窓が十干十二支表記の暦となっている点から和時計
の機構発展上、極めて希少で価値が高い。
 平成24年(2012)に専門家による分解調査が実施された。その後欠落・不良部品の
復元及び洗浄が施され、調査・修復記録が残されている。これによると、この和時計の
主要な部位はオリジナルのままであり、妥当な復元がされている。また、各部位もオリジ
ナル部分への大きな加工や変更も行われていないため、本来の和時計の持つ価値は
損なわれていない。福壽院で代々大切に保管されてきたこともあり、良好な状態で保存
されている。
 福壽院にて保存されている旧櫓の扉板とされる板に、「享保九 實快求之」との墨書が
あり、享保9年(1724)に實快和尚によって希求されたものと伝えられている。旧櫓の
ものとされる板は他に1枚残されており、これらが櫓に使用されていたものかについては
研究の余地が残る。ただし、記載されていた年号は和時計の製作時期と齟齬はないと
考えられる。

 福壽院の和時計は、全国的にみても和時計の機構発展上、希有な存在である。資料
的価値は極めて高く、市指定重要文化財として保護し、次代に継承すべき対象である。
ただし、指定の範囲は新たに製作された櫓部分を除くものとする。

ということだそうです。
なかなか貴重なもののようですね。
それがすぐ近くでじっくりと見られるわけですから面白くないわけがありません。

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しかも、ちゃんと動いていますし、内部の動きまで見れちゃうんです。
これには驚きました。

詳しい機構までよく分かりませんでしたが
左側(=文字盤側)が主に文字盤への針の表示に関する機構で
右側が時報というか鐘を鳴らすための機構ということでしょう。

ちなみに季節によって一時間ならぬ一時(いっとき)の長さが変わる
不定時法へどのように対応したのかはどうやら
鐘の下にある振り子の両端の分銅を吊るす位置を変えて調整するらしいです。

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動力源はこのような錘で櫓の下部に収まっています。
向かって左側の対が文字盤の針を動かすための錘で
向かって右側の対が鐘を鳴らすための錘みたいです。

そして、その鐘は半時(現代の定時法で約1時間)毎に鳴ります。
ボクが観に行っていた時もあと20分ほどで一時の鐘が鳴るとのことでしたので
しばらくそこで鳴るまでまってました。

予想以上に大きな音でしかも綺麗な音で確か10回ほど鳴りました。
なんだか感動しちゃいましたね。

 

まぁ現代の時計みたいな精度はまったく期待できないでしょうし
というか分や秒の概念はほとんどなかったでしょうし、
(辰刻、刻、分(ブ)の定義はあったようですが)
この時代は庶民が時間を知るのは城や寺の鐘などでしかなかったでしょうから
時間に追われる現代人とは対照的で
時間・時刻に関してはずいぶんとおおらかな生活だったのでしょうね。

と、早期リタイアして時間に追われることもないボクが言うのもなんなのですが(笑)

この和時計もおそらくお寺の鐘を撞く時を決めるためのものだったんでしょうねぇ。

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