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新書「日本の醜さについて」を読了

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幻冬舎新書「日本の醜さについて 都市とエゴイズム」井上 章一 著を読みました。

小さく「都市とエゴイズム」と書いてあるので都市化・過疎化と
日本人の精神性についての内容かと勘違いしちゃいましたが、
都市の景観といいますかほとんどは建築についての内容でした。
日本人の精神性にも話はおよんでいますが
それについては単に憂いているというレベルで
深く踏み込んだあるいは客観的な説明にまでは至っていないようです。

裏表紙に書かれていたことがこの本のすべてという感じなので引用しておきます。
(以下引用、改行は変更)

個人主義で自己主張の強い欧米人とくらべ、日本人は集団主義的で協調性があり、
「和をもって貴し」とする民族だと言われてきた。しかし、ひとたび街に目をむければ、
それはまちがいだと気づく。利権まみれで雑多な東京。くいだおれ太郎やかに道楽
など人形だらけの大阪。“千年の都”と称されながら破壊と建設
(スクラップアンドビルド)
をくりかえす京都。――街並をくらべると、近代化と自由化をすすめ謳歌するありまり、
無秩序とエゴにおおわれたのは欧米ではなく日本なのだ。都市景観と歴史が物語る、
真の日本人の精神とは?  
                    (引用終わり)

そう、「新の日本人の精神とは?」の答えが知りたかったのですが
この本には書いてなかったんですね。
そこが非常に残念でならないです。

確かに、著者が主張するとおり日本の都市景観は酷すぎます。
少なくとも欧州のそれと比較すると本当に情けないです。
ボクもその通りだと辟易しているからこそその先の話が聞きたかったのですが。。。

著者は若い頃に建築家をめざして勉強し欧米に住んでいたこともあるようで
それ故に建築の話が中心となって展開されています。
ですから都市景観についてもそれがどうあるべきかの議論ではなく
都市景観によって建築が規制されているという側からの話になっています。
都市景観でも建築でも人間の精神としてどうしてそれを維持していこうとするのか
逆に都市景観や建築が人間の精神にどう影響を与えているのか
そこに踏み込んで欲しかったんですが、
著者自身がそこに踏み込むのは自分の領域じゃないと決めつけちゃってるみたいですね。

 

ただし、終始建築の話だけかというとそうでもなく、大戦の話なんかもでてきます。
以前に読んだ「本当は怖い 京都の話」にも書いてあったことですが
「京都は文化財が多いから米軍が爆弾を落とさなかった」というのは真っ赤な嘘で
そればかりか京都も原爆投下目標のうちのひとつだったので
その原爆の威力を把握するためにあえて爆撃を控えて家屋を残しておいた
ということが書かれています。

まぁさもありなんでしょう。
京都が文化財もろとも焦土と化していたとしてもそのことが
戦中でも戦後でも日本人にとって東京、広島、長崎その他の地域に対して
どれだけの特別のことだとも思わなかったでしょうからね。

一方、イタリアではローマを爆撃開始された直後に白旗を上げることになったとのこと。
いくじなしとも言えるかもしれませんが、都市を守るために戦争を辞めたと。
まぁどこまで真実かはボクは知りませんけどね。

 

もっとも、どこぞの地域のように屋根の色、壁の色、建築様式、材料など
何から何まで規制されてしまっているようなのは
いくら都市景観のためとはいえちょっと窮屈すぎるので
個人の住宅くらいはある程度自由があってもいいかなと思ってます。
むろん、文化財や観光資源として保存が指定されている街並みなら別ですが。

それより先ずは広告宣伝の看板、ネオンなどをもっと規制して欲しいですね。
あと、ゴミ屋敷や廃屋の強制排除の法律も整備した方が良いかと思いますけど。

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