文春新書の「高齢ドライバー」を読了
ボクの両親は健在ですが既にクルマの運転はしていません。
(おそく運転免許証も返納していると思いますが確認していません)
ボク自身は運転免許証の返納を考え始めるのは
もう少し先のことになるかと思っていますが、
今もおそらくこの先も一人暮らしの身でしょうから
ゆくゆくはどうしていくか大きな問題となってくる可能性は大きいです。
ですから、○○歳以上の高齢者は全員免許取り上げろとか
安易に過激なことをいうつもりは毛頭ありませんし、
高齢ドライバーだけを社会悪のように論じる姿勢にも賛同はしません。
と、このようなスタンスでこの本を読みました。
まず、第2部 第1章では小長谷氏が高齢ドライバーの認知機能低下について
あれこれと医学的なことを述べていますが、
理解を深めるための基礎知識という感じで
問題の本質に迫るような内容ではないと感じました。
ただ、ひと言に認知症といっても症状はまったく人それぞれで
総合的な運転に対してまったく影響のない人も多いしその逆もあり、、
現在の運転免許更新時の認知機能検査では
ほとんど対応しきれていないのが実態とのことです。
そして、第2部 第2章では伊藤氏がまず重要な指摘をしています。
それは免許保有者当たりの交通事故、交通死亡事故を見るとほとんど変化していない
(わずかだが若年ドライバーで増加、高齢ドライバーで減少していいる)とのことで、
単に高齢者の免許保有者数が増えているから高齢者の事故も増えているだけであり、
かつその高齢者が衝撃耐性が低いので死亡事故に至るケースが多くなっていると。
つまり、高齢者=認知機能低下が急増しているわけではないということです。
また、伊藤氏は必ずしも完全自動運転(レベル5)車が
この問題を救うという安直な議論もしていなくて、
その前に運転支援技術の充実が必要であるとともに
高齢者が自ら運転することによる認知機能低下の防止・抑制効果について
『不便益』という言葉で説明しています。
運転の愉しみ(スピード出すことじゃなくて移動の自由を確保する意味)を残しつつ
事故を防ぐ技術が大切ということですね。
この辺りの思考はボクがこの記事で書いたのとほぼ同意であって
個人的にはその通りだと思うところです。
そして、この第2部の第1章と第2章を踏まえてから
第1部を読んだ方が良いというのがボクの感想でした。
というのは、所氏の着眼点はそこからさらに一歩進んだものだからです。
所氏は単に高齢者のドライバーだけに目をつけているわけではなく
免許証返納した高齢者がどうなるのか、地域社会がどうなるのかまで
広い視点で考えられています。
その意味ではこの本の「高齢ドライバー」というタイトルは視野が狭すぎます。
この「クルマを捨ててこそ地方は甦る」という本にも通じる内容です。
日本ではあからさまな“自動車優先主義”が蔓延っています。
例えば以下のような記載があります。(以下抜粋)
イギリス、オーストラリアでは、信号機がなくとも、歩行者が横断歩道を渡ろうと
していれば、車は必ず止まる。それが交通規則であるからである。しかし、日本では、
信号機がなければ、歩行者が横断歩道を渡ろうとしていても車はほとんど止まらない。
歩行者は左右をよく確認し、完全に車が行き交うことがなくなるまで横断できない。
車優先主義が定着しているからである。ちなみに、日本の交通法規でも、道路交通法
三十八条において、「信号機のない横断歩道でも歩行者優先」が規定されている。し
たがって、大半の車が道路交通法違反を犯しており、歩行者はそれを容認しているこ
とになる。 (抜粋終わり)
ボクは断じて“容認”していませんが車が優先だと
思い込んでいる輩が多過ぎるのは事実です。
そして、最大の課題は高齢ドライバーの加害事故よりも
(高齢)歩行者の被害事故をいかに減らすかということでしょう。
そのためにも車優先主義を改めて、
歩行者、自転車を優先させ、公共交通機関の充実を図ることが必要ということですね。
なかなか有意義な読書となりました。
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