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(昨日)かみつけの里・定期歴史講座を受講

昨日(6月24日)はかみつけの里博物館を見学したあとに
同館で開催されている定期歴史講座「かみつけ塾」を受講してきました。

 

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「上野国における上杉氏・長野氏勢力の展開――榛名山宗教勢力との関係――」
というタイトルで、講師は山本隆志氏となっています。

かみつけの里のホームページでは
“長氏”じゃなくて“長氏”となってますし
当日の貼り紙でも“長氏”と書いてありましたが、
当日配られた資料(資料代¥200)には“長氏”となっていました。

内容でも“長氏”が妥当だと思えるものでしたが
それでも“長氏”も少し登場してくるものですから
もうこの辺りから混乱して分けわからん状態になってしまいました。

そもそも、講義内容は平安時代末期から室町時代あたりまでの中世日本史で
ボクは正直あまり興味があるわけでもないのですが、
では何故聴きに行ったのかというと
ボクの祖先は武家で上杉氏に仕えていたらしいと聞いたことがあったので
(爺ちゃんの頃まで鎧兜や家系図巻物とかあったらしいけど
 酒と賭博に溺れて身上潰して全部失ってしまい、詳細不明)
その上杉氏の先祖と家系を勉強しておくのも良かろうと
ほとんど思いつきのようなもので聴きに行ったというわけなんです。

 

ただ、上杉氏そのものには直接焦点は当てられてなくて
どちらかといえば長野氏がメインの講義内容になっていました。

上杉氏は元は貴族の藤原重房が鎌倉へ行って上杉姓を得たのが大元だそうです。
うーん、藤原氏ってボクの中では印象が良くないだけにちとガッカリです(笑)
そして、さすが藤原氏の流れを汲むだけあって
足利氏と婚姻関係を構築して(足利尊氏氏の母が藤原重房の孫娘・上杉清子)
鎌倉幕府との関係を築いて関東管領を任されることになったそうです。

そこから分家も含めて関東・東北へと上杉氏が力をつけていくことになったようです。
貴族社会で藤原氏が伸していったように
武家社会でも上杉氏が伸していったということなんですかね。
それでいて、けっして表舞台の頂点には出ていかないのもどちらも同じですし。

 

で、榛名神社・榛名山修験僧と結びつくとともに
上杉氏の息のかかった長野氏、長尾氏などが登場してきて、
長野氏は在原姓、石上(いそのかみ)姓の系譜を強調するようになり、
それが世界遺産(世界の記憶)にもなっている上野三碑のうちのひとつの
多胡碑に遡れるということで、講義終了となりました。

えっ、なんだか分からないって?
えぇボク自身が分かってないですから(爆)
でも、たまにはこうやって頭を使うのもよいかもしれませんね。

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