入社後のヘンテコ部署の件 その2
以前の記事で、サラリーマンになって入社後に配属されたヘンテコ部署で
お茶くみと机掃除とゴミ捨てをやらされてたことを書きました。
もちろん、それだけやってニコニコと愛想をふりまいていれば
済むような楽な仕事であるはずもありませんので(笑)
いちおうそれっぽい仕事もいくつかやることになります。
今日はその辺りのことについて少し書いてみようと思います。
その部署「高速開発担当」(担当は係に相当)では
「モータースポーツ」「シビア」「高速開発」の3つのグループがあって
ボクはその中の高速開発グループということになっていましたが
その他のグループの業務もごちゃまぜ状態で手伝っていたことまで
前回の記事で紹介しました。
少し例を挙げて紹介するなら、
モータースポーツ関連ではサファリラリーのための
大量の部品を運んだり、整理したりするのを手伝ったり、
サファリラリー仕様のマシンを利根川河川敷の砂利道や
福島のエビスサーキット(舗装のサーキットが出来る前のダートコース)で
耐久試験走行したりとかしてました。
シビア関連ではそのシビア耐久試験というものの試験走行をしたり、
連続高速耐久と称して谷田部JARIコース(SKCは未だ無かった頃)で
深夜ぶっ通しで2時間交代で最高速で走り続けたり、
これまた深夜に利根川河川敷の砂利道を走り続けたりとかしてました。
サファリラリーってこんなにも大量のスペアパーツが必要なんだと驚きましたし、
ワークスのラリーカーを製作しているのは富士重工ではなく
K・I・Tサービスといういわゆる街のカーショップというのも驚きましたし、
そのK・I・Tサービスが親分(と呼ばせていた担当=係長)が経営している店だ
というのもさらに驚きでしたね。
K・I・TのKは親分の苗字のイニシャルで
ほかにIさん、Tさんとで共同で設立した店だったそうですが
Iさん、Tさんは……というのが噂されてました。
当時も今も副業禁止であるはずなのに
業務内容に直結するカーショップの経営してるんですからね。
まぁ名義上は家族のものにしたりとか
なんらかの方策を講じていたのかも知れませんが。
会社の予算を使ってラリーマシンの製作を発注しておいて
それを受けて実際に製作するのが自分の店なわけですから
クリーンなわけないですよね。
しかも大量に発注されるマシン製作用パーツもそのスペアパーツも
全てがその店に流れる仕組みです。
さらに、サファリラリーってケニアを中心に開催されるのですが
クルマ関連の関税が通常はものすごく高いけれども
ラリー出場に関しては優遇されているらしく、
それでもカーブレイカーラリーの異名をとるラリーですから
レッキ車(練習車)、サービスカー、スペアパーツなど大量の車・部品が
持ち込まれて、ラリー中の混乱の中で消費されていくわけです。
当時のケニアでクルマなんか買えて乗れる人は超大金持ちだけですから
そういう人たち向けに商売できれば大儲けできますよね。
ラリーで残った車・部品がどうなるかはボクみたいなアホでも察しが付くというものです。
もちろん、会社としてそんなことは出来ませんから、モゴモゴモゴ(笑)
それに、K・I・Tではサファリラリー用とかニュージーランドラリー用とかと称した
スバル用スポーツパーツも一般人向けに市販してましたね。
国内ラリー向けのもやってましたし。
こういうところが見えてくると
ボクなんかは嫌悪感がもろに顔に出ちゃう人間なので(汗)
ちょっと距離をおかれるようになりましたね。
こっちとしても望むところでしたが。
「シビア」ではそこまで露骨に腹黒い行為はなかったと思いますが、
深夜の利根川河川敷の走行試験なんかの時は
当然ながら夜勤勤務となるのですが、
なぜかほとんど顔を見せなかった担当が
いつも夜勤や深夜残業していたことになってましたね(驚)
時差勤務手当や深夜勤務手当めあてのセコイ行動ともとれますが
どうも深夜業務を口実に闇夜にまみれて色々とやっていたようです。
部品やクルマを大量におおっぴらに運ぶには
サファリラリーの前とか時期的に限定されますから、
それ以外はやはり人目に付かないようにやりたかったのでしょう。
そうそう、部品搬送などに使っていた社有車のサンバートラックがあったのですが、
ある時に後輩(親分信者でもラリー好きでもない普通の人)が所用で
そのサンバーで外出しようとしたら守衛さんに止められて、
「ナンバープレートが付いてないですよ」って指摘されたらしいのです。
試験車などでナンバープレートのない、つまり登録されてない車は幾らでもありますが、
そのサンバーは所外に運搬にも多用している車ですから登録してありますし
当然ながら前日まではナンバープレートも付いていたのですが、
突然何者かによって前後のナンバープレートが外されていたわけです。
その時もボクは夜勤してたのですが……
そして、その後、何台かの軽自動車の試験車が消えていることが分かりました。
軽自動車はナンバープレートの封印もないですからねぇ。
ちなみに、小型車だと仮ナンバーを借りたりした時に便乗するのが……モゴモゴモゴ(笑)
毎年、冬季には赤城山の小沼で氷上走行をしていました。
親分が創設した上州オートクラブが管理をするという形で
富士重工はその上州オートクラブに使用料を払って使わせてもらってたわけです。
なのに、何故か氷の膜厚管理したりするは手伝わされていましたし、
ボクはやりませんでしたが土日の上州オートクラブ主催の氷上トライアルなどでは
担当内の人が駆り出されてオフィシャルなんかやってましたね。
趣味なのかボランティアだったのかもしれませんが。
そして、その赤城小沼の氷上には廃車扱いにした(シャシーNoを切り取った)
元試験車などが用意されていてそれで走行訓練とかすることが許されていました。
今なら脱税行為で完全にアウトですね。
また、お偉いさんのお遊び走行日みたいなものがあって
好意的表現するなら役員・管理職の運転技能向上目的でしょうけど
別にカリキュラムや技能指導などもなくただひたすら氷上でクルマを走らせて
日頃のストレス発散させてください的イベントと化してました。
なので、パイロンぶっ飛ばして雪壁に乗り上げてスタックする人続出でしたね。
ボクらはその間、寒風吹きすさぶ冷たい氷上のコース脇にずーと立っていて
すぐにパイロン直したりスタックしたクルマを押したり引いたりしたりと。
そんな時にも廃車扱いの試験車は登場するのですが
春が近づき氷上走行の季節が終わるとそれらの車はどこかに消えちゃうんですよね(呆)
今年は○台に沈んだとかそんな話を聞いたことはありますが
そんなに赤城小沼の底に車が沈んでいるとしたら
それはそれで別の大問題なんですけとねぇ。
というわけで、またまた長くなってしまいましたので
ボクがやっていた「高速開発グループ」の業務は
また次回ということで、お楽しみに(?)
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コメント
内容がやばすぎて笑えないわ
投稿: deefe | 2018-05-12 15:53
>deefeさん
どうもはじめましてです。
もう30年ほど昔のことですのでアレですが、
そんな笑えない職場で何年もいた自分が
今となっては信じられないですね。
投稿: JET | 2018-05-12 17:48
今回も楽しく拝読させていただきました。
当時の情景が目に浮かぶようです。
40フィートコンテナの中に……モゴモゴモゴ(笑)。
投稿: よっさん | 2018-05-12 19:39
>よっさん
まぁボクも人から聞いた噂話がほとんどですけどね。
投稿: JET | 2018-05-13 05:47