プラモ製作(67)スバル360 '64日本GP親分車
前作のスバル360第2回日本GPと同じキットをまた作りました。
どちらも同じハセガワの1/24スケールのキットですが
前回のは再販されたもので2017年12月製造の真新しいものだったのに対して
今回のは1997年8月製造と20年以上前のキットという違いがあります。
まぁでも中身は基本的にまったく同じものになってます。
このキットは昔からストックしていたものではなく
数年前にオークションでちょっぴりプレミア価格で落札していたものです。
ですから、再販されたのを知った時は少なからず悔しい思いをしたものですね。
それで、まったく同じ仕様のクルマを2台作っても面白くありませんから
前作の1964年第2回日本グランプリT-Ⅰクラス優勝の
ゼッケンNo.9の大久保 力 選手のマシンに対して、
今回は同じ1964年第2回日本グランプリT-Ⅰクラスで1-2フィニッシュの
2位に入ったゼッケンNo.12の富士重工社員ドライバーの
親分こと小関 典幸 選手のマシンとして作ってみました。
まぁ小関氏のことはこの記事やこの記事とかでさんざんなことを書いていますが
それでも当時の富士重工の社員ドライバーとして一番速かったようですし
その活躍がスバル車の宣伝になったのは確かですし
その後もスバルのモータースポーツ活動の黎明期を担った一人ですから、
そこはきちんと敬意を表してこのマシンを作ったわけです。
ただ、ハセガワとしてはNo.12のマシンとしての用意はされてませんので
No.9マシンとの違いの部分は自分で工夫するしかありません。
というよりも、当時の資料があまりにも乏しく
しかも解像度の低いモノクロ画像ばかりなので、
正直なところ何が真実なのかよく分からないところばかりです。
トミーから発売されていたミニカーなども参考にしながら
最後は想像や妄想で作ってしまいました。
予想外にあちこち微妙に違うんですよね、この2台。
まず、当然ながらゼッケンナンバーがNo.9とNo.12で違います。
ゼッケンナンバーのデカールはありませんから○の部分はそのまま使い、
数字部分は古いタミヤF1キットで使わなかった12番のが
適度なサイズだったのでそれを組み合わせて仕上げてあります。
それと、ナンバープレートの数字も末尾が違いますから
そこだけは手書きで書き換えてあります。
そのナンバープレートの取り付け方も違いますね。
あと、フロントバンパーの色、ヘッドライト・ベゼル(?)の色、
フロントトランク前端のVマーク/+マークなども違いますし、
フェンダーミラーの有無とルームミラーの取り付け位置も違います。
ライト類のテーピングの色も黄色/青色と違いますが
ここは本当かどうかかなり怪しいです。
また、ヘッドライト・テーピングも×と+で違います。
後回りの2台並べた画像は省略しますが
No.12車はリアフェンダー下部に赤いリフレクターが付いてますが
No.9車はそれがなくガムテープのようなもので隠されているのかも知れません。
ここもはっきり分からない部分です。
そして、No.9の大久保選手のマシンは4速(3速+オーバートップ)仕様でしたが、
No.12の小関選手のマシンは3速×副変速機の計6速仕様だったらしいので
こんな感じかなと妄想して2本レバーにしてみました。
完成しちゃうとほとんど見えなくなっちゃうんですけどね。
ストックしてあったガラクタパーツの中からを適当なものを選んだんだけど
太さやグリップ大きさが合わずに結局ほとんど削りだすことになっちゃいました。
大久保選手は2本レバーの6速仕様は操作が煩雑で嫌っていて
4速仕様にして1速ががかなりハイギヤードの設定となっていたそうです。
大久保選手と小関選手はスタート前に同士討ちにならないように
スタート直後の1コーナー手前で前にいた方がそのまま先行して
後だった方はスズキ、マツダをブロックする側に回るという
申し合わせをしていたらしいです。
結局のところそのハイギヤードの1速で引っ張って
大久保選手が1コーナーを制したとのことですから、
ここはきちんと再現したかったところですからね。
そんなこんなで自作などで少し汚らしくなってしまったところはありますが
全体的に満足な仕上がりになったと思っています。
なお、毎度のことですがJET-PHOTO の方にもう少し詳細な画像を載せています。
今回のスバル360日本GP親分車はこちらの「スバル」から見ることができます。
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