« キッチン・シンク下から浸水して大洪水! | トップページ | 退職金優遇金利定期預金はもう終了 »

プラモ製作(62)初代インプレッサWRX

B180404_1
ハセガワの1/24スケール、スバル・インプレッサWRXを作りました。
今では、WRXはインプレッサとは独立した別個の車種となっていますが
これはまだインプレッサの中の高性能グレードとして存在していた時代です。
もっと言えば、まだSTIの名前も付いてなくてVer.○とかも現れていない時代です。

初代インプレッサは1992年11月に発売されました。
マーケット的にみると、レガシィがそれまでのレオーネより上級移行したため
レオーネの廉価グレード・クラスのユーザー層の
乗り換え受け皿の車種が必要ということでインプレッサが誕生しました。

事実、レガシィ発売後もレオーネの一部廉価グレードは販売が続けられてましたから
インプレッサはレオーネの後継モデルという位置づけとも言えます。

レガシィの企画・開発段階から既にインプレッサの構想があって
そのような車種戦略があったのかどうか、
ボクは当時は入社したばかりでしたしヘンテコな部署にいたので
詳しいことはよく知りませんが……

レガシィの発売直後はその上級移行(高価格帯移行)についてこないお客さんが多く
特に北米市場での販売が不振になってしまったこと(円高も影響大ですが)、
レガシィ発売からインプレッサ発売まで4年弱もかかっていることなどからすると
はじめからレガシィ&インプレッサの二段構えの戦略だったとは考えにくく
レガシィの失敗で焦って開発したというのが真相ではないかと思います。

※初代レガシィは日本ではワゴンブームを作って
 スバルとして大成功した車種と思われがちですが、
 原価高と膨大な開発費と北米での販売不振で大赤字を出した車種です。

さらに、このWRXというグレードについても
インプレッサの最初の構想時にすでに含まれていたのかどうかも怪しいです。
ましてや“WRX”といういかにもWRC参戦を意識したグレード名称は
かなり後になってから出てきたものだったのではないでしょうか。
レオーネ時代から“RX”はありましたけどね。

 

先ほど、マーケット的にはインプレッサはレオーネの後継車の位置づけだと書きましたが、
けれども社内的にはレオーネの後継はあくまでもレガシィでありそれが主流で
インプレッサはどうしても付け足し的な位置づけという意識が強かったと思います。

多くの車両実験や設計の部署では、当時は
小型系と軽系というふたつの担当(=係)に分けられていて
小型系ではレオーネ→レガシィ、アルシオーネなどの車種を受け持っていて
軽系ではレックス→ヴィヴィオ、サンバーなどの軽自動車の他にも
ジャスティ、ドミンゴなどの軽派生の小型車も中間車種と呼ばれて受け持ってました。
技術的観点からすればインプレッサは小型系の担当が受け持つのが自然ですが、
何故か中間車種と言われて軽系の担当で受け持つことになっていたんですね。

スバルは車種ヒエラルキーを作りませんとか表向きに言っていたわりには
社内的にはどうしてもレガシィやってる小型系の方が軽系よりも
開発資源的にも優遇されたりとか何かと日が当たるような印象になっていました。
まぁ、小型系の人の勘違いだったり軽系の人のひがみやっかみだったりでしょうが。

そんなわけなので、どうしてもインプレッサの開発では
「レガシィに負けないぞ」的な良く言えば社内での切磋琢磨、
悪く言えば身内でのいがみ合いみたいなものを感じていましたね。

あっ、この初代インプレッサの開発当時のボクは
操縦安定性・乗り心地の実験部署ではじめの頃は小型系担当にいて
その後は軽系担当に異動したのですが、
インプレッサの開発には直接当事者として携わっていないので
その意味でも両陣営側から(?)客観的に見ていることができましたからね。

例えば、レガシィがMOMOステアリングを使ってるから
インプレッサはナルディにしようとか(笑)
まぁこんなのは可愛いもんとも言えなくもないですが
ドライバーとクルマとの重要なインターフェイスであるステアリングホイールは
メーカー(ブランド)として確固たるポリシーを持ってしかるべき部品なのに
ブランド装飾品で着飾るように安易に選ぶというのはナンセンスですけどね。

S10_1 S10_2 S10_3
おっと、肝心のプラモデル・キットを紹介するのを忘れそうになりました(汗)

まだ、スバル・ブルーとかWRブルーなんて言葉もイメージもなかった頃ですから
ボディカラーはシルバーにしました。
ボンネットなどは開かずにボクサーエンジンも再現されてませんが、
下回りはそこそこ再現されてます。

全体的にはほどよく詳細でそれなりに作りやすいキットでした。
けど、デカールの糊が完全に乾ききってしまっていて
一日中水に浸けても剥がれずにかなり苦労させられました。
タミヤほどではないですがハセガワのデカール品質もヤバそうです。
ハセガワのラリーマシンのキットのストックがかなりあるので
ちょっと心配ですなぁ。
ちなみにこのキットは1994年製となっていました。

まぁそれでもなかなか満足のいく出来になりました。

 

なお、毎度のことですがJET-PHOTO の方にもう少し詳細な画像を載せています。
今回の初代インプレッサWRXはこちらの「スバル」から見ることができます。

|

« キッチン・シンク下から浸水して大洪水! | トップページ | 退職金優遇金利定期預金はもう終了 »

コメント

いろいろありますねえ。これの5ドアWRXすごく欲しかったんですが。

momoステ大好きです。今実家で保管中。

投稿: TOMO | 2018-05-06 19:14

>TOMOさん

ボクも手が大きいので握りが太いmomoの方が好みですね。
昔、使ってたやつはどこに行っちゃったんだろう……

投稿: JET | 2018-05-07 00:44

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: プラモ製作(62)初代インプレッサWRX:

« キッチン・シンク下から浸水して大洪水! | トップページ | 退職金優遇金利定期預金はもう終了 »