プラモ製作(57)プジョー206WRC 1999
前作のプジョー205T16に続いてというわけでもないのですが、
今回はWRC復帰を果たしたプジョー206WRCを作りました。
このマシンの出現でWRCにおけるインプレッサ(とランエボ)だけの
黄金時代は終わりを告げたといってもいいくらいでしょう。
1997年から導入されたWRカー規定が
こういったマシンの登場を意図したものであったわけですから
当然と言えば当然のことなんでしょうけど。
当時、スバル社員でありながら既にプジョー106ラリーに
乗っていたボクとしてはちょっぴり複雑な心境でありましたけど、
まぁ量産車とモータースポーツは別物ですし仕事と趣味もこれまた別ですから
とりたてて熱く語ることでもありませんが。。。
プジョー205T16の頃にはプジョーのモータースポーツ活動は
プジョー・タルボ・スポールによっておこなわれていたのですが、
この206WRCが登場した1990年代終盤には
ジャントッドも去ってプジョー・スポールとなっていることからか
カラーリングも様変わりしていますね。
それでもやはりプジョーと言えばホワイトボディにブルーライオンという
カラーイメージが強いですから、
これはその通りになっているという感じですかね。
これは2002年のフレンチ・ブルー・ミーティング前夜祭でみつけた
なんちゃって206WRCですかね。
ただ、206WRCのベースになった206GTかもしれないです。
そう、プジョー206はWRカー規定の全長4m以上に満たなかったので
前後バンパーを伸ばした206GTを規定台数販売することで
WRカーの206WRCを作ることができるようになったんですね。
この年代のタミヤならもうデカール品質への心配はないかなと思いきや、、、
なんとそうは問屋が卸してはくれませんで
ところどころ切れたりしてそれなりに作るのは苦労しました。
まぁでも粉々になってしまうほどの酷さはありませんでしたけど。
ただ、これはボクのボンヘッドなんですが、何を勘違いしたのか
ゼッケンナンバーとドライバー&コ・ドライバーとの組み合わせを
ごちゃまぜにしてデカールを貼ってしまっていて、
トップコートを吹きかける直前にその誤りに気付くという
なんとも情けないことをしでかしてしまいました。
トップコートを掛けてしまったらもう万事休すで諦めていたでしょうけど、
そこから間違えてしまったゼッケンナンバー等をすべて綺麗に剥がして
貼り直すという無駄な手間暇をかけざるを得ず心底疲れてしまいました。
自業自得というものですな。
そんなわけで、1999年の第6戦ツール・ド・コルスに出場したNo.15の
G.パニッツィ/H.パニッツィ組のマシンとして製作しました。
F.デルクール/D.グラタループ組のデカールも用意されていて
別にデルクールが嫌いというわけでもなんでもないのですが、
やはりここはターマック・スペシャリストのパニッツィでしょう、
と勝手に思い込んでパニッツィ兄弟で作ったというわけです。
もっとも、この年のツール・ド・コルスはFFのクサラ・キットカーが優勝していて
正直なところそっちの方がボク的には大歓喜だったんですけどね(笑)
さて、この年代となるとフルディスプレイであってもタミヤでさえ
ボンネットは開けられずにエンジンなども再現されなくなり、
それでも下回りはかなり精細な作りになっているものの
完成させちゃうとアンダーガードに覆われて見えなくなってしまいますから、
製作途中で写真撮影しておきました。
室内もしっかり再現されているようですが
これもボディ被せて完成させちゃうとなかなか写真に収め辛いので
製作途中で写真撮影しておきました。
なかなか満足できる出来になったかなと思います。
なお、毎度のことですがJET-PHOTO の方に
もう少し詳細な画像や別の画像を載せていますので、
暇な時にでも My Plamodel を覗いてみてください。
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