文春新書「人工知能と経済の未来」を読了
著者はマクロ経済学者という肩書を持ちますが
大学時代には計算機科学を専攻しIT企業に勤めていたこともあり
人工知能そのものについての知識と経済を
相互リンクさせて論じることができてるのが強みとなってます。
まず、人工知能そのものについては
「特化型人工知能」と「汎用人工知能」に分けています。
今世の中に出てきている人工知能はすべて「特化型人工知能」であり
その人工知能が人間の仕事を奪うのは特化された限定的な分野だけなので
社会への影響も限定的と考えられますが、
人間と同じように様々な知的作業をこなすことができる「汎用人工知能」が
現れる多くの人間が職を失うことになるだろうと予測しています。
その「汎用人工知能」の出現は2030年ごろではないかとされてますが
それが実際に社会に広く普及していくのは2045年ごろではとされ、
そのころになると大半(9割くらい)の人は職に就けないようになると。
ただ、その普及の速さ、導入の速さによって国力が決まってしまいそうで
個人個人が失業するかしないかよりそちらの方がよほど大きな問題となりそうです。
要は人工知能導入に遅れをとれば企業も国も負け組となり
先進(人工知能)国に搾取される側に成り下がってしまうということですね。
そして、そのようなAI(人工知能)により大半の人が無職になるような社会では
無職の人が餓死しないようにBI が必要だと主張されてます。
もちろん、AじゃなくBみたいなダジャレではなく
BI はベーシック・インカムのことです。
生活保護など現行の社会保障制度では成り立たないので
ベーシック・インカムの導入が必要ということだそうです。
ボクはベーシック・インカムについては概念くらいしか理解できてなく
そんな簡単には導入できないだろうとか
現行の(厚生)年金を反故にされたらたまったもんじゃないし
となんとなくマイナスイメージを抱いていたんですが、
何年もの移行期間をかけて現行制度との整合を図りながら
徐々に実現していくのならばありなのかなとも思うようになりました。
結局、この本で著者が最も主張したかったことは
このベーシック・インカム導入の部分だったようですね。
ただ、個人的に一番記憶に残ったのは「おわりに」の部分でして(笑)
フランスの思想家・小説家のジョルジュ・バタイユの提示した
「有用性」(役に立つこと)とそれと対置する「至高性」という概念についての話です。
一部引用してみます。(以下引用)
資本主義に覆われたこの世界に生きる人々は、有用性にとりつかれ、役に立つことばか
りを重視し過ぎる傾向にあります。
(中略)
現代社会で失業は、人々に対し収入が途絶えるという以上の打撃を与えます。つまり人
としての尊厳を奪うわけですが、それは私たちが自らについてその有用性にしか尊厳を見
出せない哀れな近代人であることをあらわにしています。みずからを社会に役に立つ道具
として従属せしめているのです。
(中略)
人間の価値は究極的なところ有用性にはありません。人の役に立っているか、社会貢献
できているか、お金を稼いでいるか、などといったことは最終的にはどうでも良いことな
のです。
(引用終わり)
早期リタイアしたボクがこれを言うと反感を買われかねませんが
まさに我が意を得たりという感じになりましたね。
むろん、本当に人の役に立つことをしている人を茶化すつもりはありませんし、
ボクの「至高性」はちっぽけなものでしかありませんけどね(爆)
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