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新書「仕事なんか生きがいにするな」を読了

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幻冬舎新書の「仕事なんか生きがいにするな」 泉谷関示(かんじ)著
を読みました。

もうボクは早期リタイアして仕事をしていないので
仕事を“生きがい”にするしないは関係ないんですけどね。

最初、この本のタイトルを見たときは
仕事を生きがいにされると部下や周りが迷惑するからやるな
というような意味でのビジネス書かなと思ったのですが、、、

副題に「生きる意味を再び考える」とありますし
著者が現役精神科医であることからも分かるように
仕事=ビジネス論ではなく「生きる意味」や「自分探し」のような
精神的・哲学的・宗教的なこころの在り方についての本でした。

とは言え、とりわけ近年のビジネスマンにはうつ病を抱えている人が多く
またそれが昔のように何かに満たされないことに悩むというよりも
「生きる意味」「自分探し」「存在意義」のようなことに苦悩するケースが多く、
それ故に「仕事」と無関係の内容になっているわけではありません。

 

興味深く感じられたのは、ナチス迫害も受けた哲学者アレントの以下の考え方で、

 人間の活動全般を「労働(lavor)」「仕事(work)」「活動(action)」の3つに分け
  労働:生命・生活維持のために必要に迫られて行う作業
  仕事:人間ならではの永続性のある何か(道具や作品など)を生み出す行為
  活動:社会や歴史を形成する政治的働きかけや芸術などの表現行為
 といい、さらにギリシャ時代では労働は奴隷化されることであり
 最も軽蔑されるものであったということです。

しかし、産業革命以降に機械化・大量生産により「仕事」の地位が凋落し
「労働」と同じに成り下がってしまうとともに、
カトリックの禁欲的生活が「天職」の言葉によって
神の意思に沿う道徳的な行いだとして労働賛美にすり替えられた。
というわけです。

 

他にもいろいろと哲学者・思想家・宗教家など先人たちの言葉を引用しつつも
なかなか示唆に富んだ興味深い内容が書かれていますが、
詳細は割愛させていただきます。

結論的には、生きることを味わうために日常に「遊び」を取り戻しましょう。
ということになっています。
何も高尚な芸術家をめざしましょうということではなく
日常をあえて無計画、無目的に即興に委ねてみよう。
と提案されています。

そういう意味ではボクの今の日常は少なくとも現役時代に比べても
はるかに「遊び」に満ちたものになっていると思いますね。
できることなら、働いている時でもそのような「遊び」が取り入れられれば
良かったのかも知れませんが、やはり
時間的にも精神的にもなかなかそれは難しかったと思います。
だからボクは早期リタイアという道を選択したとも言えますかね。

 

最期の方に、イソップ寓話のアリとキリギリスの逸話について
書かれている部分もかなり面白かったです。

原話は「セミとアリ」だったそうですが、いずれにせよキリギリス(セミ)のように
なりたくなければ備えをしておく必要があるという教訓ではあるんですが
だからといってアリのように禁欲的に労働して未来に備えることを
賛美しているわけではないとのことです。

というのも、イソップ寓話におけるアリは元々人間であったのだが
欲深く隣人たちの果実を盗んでばかりいたためにゼウスの怒りに触れて
アリの姿に変えられてしまったけれども性格は変わらなかった。
というものとして書かれているとのことなのです。
だからこそアリはキリギリス(セミ)を無慈悲に見殺しにするわけですね。

まっ、そういう意味でもボクはアリにもキリギリスにもなりたくないので
ある程度の備えはするけど身の丈以上に欲張りになることなく
これからの早期リタイア生活を遊んでいければいいなと思いました(^.^)

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