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69Dドミンゴの次は79V初代フォレスターの開発

富士重工(現・SUBARU)に入社してからの業務を
振り返って書いているこのシリーズ(?)も
前回のこの記事から随分と間があいてしまいました。

2代目ドミンゴ(開発符号:69D)の操安乗り心地の開発やら
その他いろいろとやっていたことを書きましたが、
その69Dの次は初代フォレスター(開発符号:79V)の
操安乗り心地の開発をすることになりました。

実際には、69Dの国内発売が1994年9月からで
メディア向け試乗会など含めて市場導入の支援などの業務がある一方で、
79Vの開発は1994年の5,6月頃にはスタートとしているので
両方掛け持ちでやっていたという状態でした。

79Vの発売が1997年2月でしたが
その開発が完了するくらいの1996年秋ごろまでは
このような79V,69D、サンバーの3つの車種を掛け持ちしてましたね。
してたというか、させられてたというか、、、

レガシィの操安乗り心地なら一車種に何人も携わって
しかも課長も担当(係長)も寄ってたかって開発するのに、
初代フォレスターはペイペイのボクと後輩の二人だけで
サンバーとドミンゴと掛け持ちしながら開発していたなんて
笑っちゃいますよね~。

79V初代フォレスターについてはこのブログでも
何度が触れていて、特にこの記事の時に
当初は初代インプレッサのモデルチェンジ
つまり2代目インプレッサとして検討が始まったと暴露しました(笑)

結局は、初代インプレッサをそのまま延命して
追加の新車種として79Vがラインナップに加わることになりましたが、
アメリカからはチェロキーのようなクルマ、
日本の営業からはその時そこそこ売れていた三菱のRVRみたいなクルマ、
(当時は国内ではWRX vs ランエボからか何かと三菱が
 引き合いに出されてましたね。営業目線だけですが。)
ヨーロッパでは大して売れないだろうけどランドローバーみたいな、、、
そんなハチャメチャな要求のカオスな状況の中から企画されていったのです。

 

操安乗り心地の開発は1994年春頃スタートでしたが
クルマ全体のコンセプトやパッケージングやスタイリングスタディなどは
既にその前からスタートとしているわけで、
その頃にはトヨタRAV4,ホンダCR-Vもまだ発売されていない時期です。

初代トヨタRAV4は3ドアだったのでちょっとコンセプト的に違ってましたが
その後にロングホイールベスの5ドアのRAV4 Vが出た時点で
フォレスターの競合車という形にはなりました。
いずれにしても、RAV4やCR-Vが売れているのを横目に見て
スバルも便乗して……ってな話ではなかったんですよね。
スバルはそんな器用で要領の良いメーカーではありませんし(笑)

 

ただ、エクステリアデザインの決定終盤になって
やっぱりその時売れてるRAV4やCR-Vと比較されるようになってしまい
どうしてもそっけなく迫力に欠けるという評価が下され、、、
噂ではその時に「デザイナーが5ナンバーサイズの幅の制約があって……」
という言い訳をしてしまったために、
「だったら3ナンバーにしてでもカッコイイものをデザインしろ」
ってな話になってしまったんですね(呆)

そのために初代フォレスターには不自然なオーバーフェンダー風の
段差が前後のタイヤ周りに付けられることになったわけです。

国内では1989年から全幅1700mm超の3ナンバーだろうが
5ナンバーサイズと自動車税が同じになったこともあり
三菱ディアマンテなど3ナンバーのクルマが大いに売れていた時代、
逆にスバル・レガシィは3代目の2003年まで5ナンバーサイズを死守し
そのことをセールストークに利用するような売り方をしていながら
一方でフォレスターでは室内空間や機能のためではなく
ただ外観スタイルのため(というかデザイン部の言い訳のため)に
3ナンバーボディにするということをやっていたのですから
何をか言わんやというところですかね(汗)

そして、フェンダーだけ膨らませてもタイヤの位置がそのままでは
奥まって見えて余計にカッコ悪くなってしまいますから、
そこから急遽トレッドを広げることになってしまい
操安乗り心地の開発は「振り出しに戻る」ってわけで
思いっきりとばっちりを喰らわされましたね。

 

結局、3ナンバーに拡幅されても大してカッコよくなりませんでしたし(爆)
ただ、これがきっかけでホイールリムのオフセット(インセット)が
それまでのスバルの55mmから48mmに換えることになって
結果的にはこれ以降はスバルのSUV系のホイール・オフセットは
48mmが踏襲されていくことになったんですよね。
良い面・悪い面どちらもあるのでどちらが良いとは言い難いですが。

 

今でこそフォレスターは販売台数としても収益性としても
スバルで最も重要な位置づけの車種となってきていますが
79V開発当時はスバルの(開発の)中ではなんだか亜流な車種扱いで、
だからこそボクみたいなペイペイに掛け持ちで開発を任せられていたわけです。

上に書いたようにコンセプトもハチャメチャで右往左往して開発してるので
上司もはっきりとした方向性を示すこともできずに
正直あまり関わりたくないという雰囲気がありありでしたしね。

また、当時の課長は設計部門から転属してきたばかりで
自ら実験のことも操安乗り心地のことも分からんというくらいなので
完全にほったらかし状態でしたし、
モータースポーツ出の担当(係長相当)はインプレッサの年次改良
特にWRXなどスポーツ系グレードにのめり込んでいたりして
それが幸いしてボクはかなり思い通りに自由になにもかもやらせてもらいました。

 

コンセプトが曖昧なまま開発スタートした79V・初代フォレスターですが
ボク自身は根っこの部分では“レオーネ4WDワゴンへの回帰”だと考えていました。
スバル4WD(今はAWDと言ってますが)の起源は良く知られているように
東北電力からのジープ(当時はクロスカントリー4×4などの総称)の走破性と
乗用車の快適性(乗り心地、静粛性や暖房性能など)を兼ね備えたクルマとしての
要望に販売会社の宮城スバルが応えて作ったスバルff-1の4WDが元となり、
その後に初代レオーネ4WDエステートバンが生まれたわけです。

79Vはアメリカの販売会社からチェロキーみたいなSUVをと要望されたのです。
SUV=Sport Utility Vehicleとは明確な定義はありませんが
当時アメリカの駐在事務所にいたアメリカ人から教えてもらった限りでは
屋根のないジープのようなSporty(このニュアンスからして日本人の感覚とは異なる)
な車に乗用車並みの快適性を与えて多目的に使える車としてジープ・ワゴニアが生まれ
それがSUVの元祖なのだということです。

その意味ではレオーネ4WDワゴン(エステートバン)に回帰するというのは
おかしな話ではないかと考えています。
正しくはただ回帰だけではなく当時としての現代的解釈を加えての再定義ですかね。
けれども、当時のスバルは高級ホテルに乗りつけられるステーションワゴンをとか
最速ワゴンをとかWRCでチャンピオンをとか言いだしはじめた時で
それまでのレオーネ4WDのユーザー層を置き去りにした状態だったので
それに反旗を翻す意味合いも込めていたのですが、それは公言しませんでした。

そんなこんなから、ボクは操安乗り心地の目標性能を設定して開発を進めたのですが、
長くなりましたからその話はまた次回ということにしましょう。

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コメント

初代フォレスターって、そんな生い立ちだったんですか。
縁なくて乗せてもらうこともありませんでしたが。
レオーネは地元の先輩が2代目ワゴン~3代目ワゴン~セダンと乗り継いでました。
セダンはRXのフルタイムでしたね。(後期型?)
しかも弟も3代目クーペに乗ったりしてて。

投稿: はら坊 | 2019-04-14 18:12

>はら坊さん

レオーネは運転するととっても癖が強くて変な車なのですが、
それとは別に全体の位置づけというか4WDのコンセプトは
なかなか独自のものがあってそれなりに使い勝手の良いクルマだったと思いますよ。

投稿: JET | 2019-04-14 18:26

実は一番最初に運転した車が先輩の2代目レオーネだったんです。
そんな縁もあって、レオーネは今でも好きな車です。
癖については、比較する基準も無い超初心者の時でしたので。
ワゴンの使い勝手は本当に良かったと思ってます。

投稿: はら坊 | 2019-04-15 20:12

>はら坊さん

ボクは運転免許を取った時に家に親父の初代レオーネがあり
当然ながらそれを運転したのが初めてになります。
実際には子供の頃にスバル360をちょっとだけ動かしたことがあるんですけどね。

レオーネのころはスペアタイヤをエンジンルームに置いたりしていて
本当に荷室は真っ平で使い勝手は良かったですね。

投稿: JET | 2019-04-16 02:58

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