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32年前の今日は入社式でした

32年前の今日、つまり1986年4月1日はボクがサラリーマンとなって
富士重工株式会社(現・株式会社SUBARU)に入社した日でした。

A860401
その時の記念写真がありましたので載せておきましょう。
もう当時と今ではみんな顔つきもかなり変わっているでしょうから
モザイク無しでそのまま載せちゃいます。

さて、ボクはどこにいるでしょーーか?
(当ててくれても何もあげませんよ)

当時の記憶は曖昧になってきてしまっていますが、
確か前年の初夏の頃に簡単な筆記試験と面接試験を受けて内定を貰い、
秋になった頃に健康診断と配属先意向の面接を受けたと記憶しています。

就職試験は大宮製作所(現在はステラタウン?)だったかな。
健康診断は当時の新宿本社へ行ったと思います。

内定をもらったのはプラザ合意の直前くらいですから
まだ当時の富士重工も為替の恩恵で業績は良くて
大量新卒採用をしていた時期でした。
前年度の2倍くらい、翌年度になると半減しました。

おそらくスバルの歴史の中で最も多くの新卒採用をした
年だったんじゃないでしょうか。
だからボクみたいな人間でも簡単に入社できたんですね。
そういう意味ではラッキーでしたね。

 

ボクは名古屋工業大学卒業だったのですが
取得単位不足で留年してしまったので4年生を2年やってます。
理工系の大学では研究室で卒業研究をして論文を書くのが普通ですが、
それを最初の4年生の時に済ませてしまっていたので
2回目の4年生の時は足りない単位を取得するだけで
他にやることないのでアルバイトばかりしてました。

もともと留年するくらい成績も良くないのにそんな状態ですから
就職担当の教授にもウケがいいわけありません。
さらに、富士重工に就職したいと言い出したら
富士重工からは毎年募集来てないし今まで就職した学生もいないから推薦も書けないよ
とまったくもってけんもほろろな対応しかしてくれませんでした(呆)

当時は募集が来ている会社の中から成績の良い学生から順に
希望する会社を選んでいって、推薦を貰って就職活動すると
だいたいは内定を貰えるという仕組みになってました。

逆に言えば、募集が来ていない会社には推薦も貰えないし
成績が悪くて募集枠から溢れた人も推薦は貰えないし、
大学の推薦のない人は内定をもらえないかかなり不利になるというわけです。

そんなわけですが、そんなボクですら入社できたんですから
本当に誰でも入社できた状態だったんですね、当時の富士重工は。

 

今でもスバルはクルマ以外にも航空部門がありますが
当時はバス、鉄道車両、汎用エンジンなど多くの部門があり
クルマも車両全体(群馬)とパワーユニット(三鷹)が別々にあって
それに本社機能が加わっていくつかの部門・事業所に分かれていました。

それでも、学卒・院卒の新卒採用は本社で一括採用してから
それぞれの部門・事業所に配属されるという形になっていました。
ですから、上の写真に写っているのは全部門の新卒者ということになります。
ちなみに、高卒・高専卒・短大卒はそれぞれの事業所ごとに採用してましたから
この写真には一緒に写っていません。
なので、全部門の新卒者が揃って入社式を行いましたが
上の記念写真では事業所ごとに撮影していました。
人数が多過ぎたからでしょう。
全部門の新卒者だとこの写真の2倍くらいの人数になったかと思います。

ボクは当然ながらクルマ造りに携わりたくてスバルが好きで富士重工に入社したので
正直いって汎用エンジンとかバスとかの部門に配属されたら
厭だなぁと思っていたわけですが、
前年秋の配属先面接を経て入社前には車両全体(群馬製作所)に
配属されることは知らされていました。
入社前には群馬の寮にも引っ越ししてましたしね。

ただ、ボクの大学での卒業研究テーマは内燃機関の燃焼についてだったんですよ。
だから、エンジン開発をしている三鷹製作所を希望するのが普通と思われたでしょう。
それに、ボクにはまったく理解できない感覚なのですが
群馬の田舎なんかで働きたくないから三鷹に行きたがる人も多かったようです。

それなのに、配属先面接の時にボクが群馬を希望したので面接官も驚かれてました。
「えっ、どうして三鷹じゃないの?」と聞かれた時に
「エンジンなんかやるんなら富士重工には来ませんよ、クルマ全体に関わりたいんです。」
みたいな超生意気なことを口走ってしまった思い出があります。
幸いにもその面接官が群馬製作所の方だったので苦笑いされただけで済みましたけど。

おそらくそんなやりとりも影響してのことなのか、無事に群馬に配属になったわけです。
さらに、入社後は簡単な研修を受けた後に2か月間の工場実習を経てから
正式な配属部署が知らされたのですが、
(当時は配属部署が分かった途端に辞めちゃう人がいたらしいので
 工場実習で社畜化してから配属っていう魂胆らしいと云われてましたね)
車両実験部の通称「シビア部隊」と呼ばれていたヘンテコな部署に
ボクは配属されたのでした。

サファリラリーとかのラリー車の開発やラリーへの出場とかもやりつつ
シビア耐久と呼んでいたヘンテコないじわる耐久試験とかもやり、
上司(係長相当)が自らを「親分」と呼ばせているような
会社の中でも治外法権が存在してそうな
そんなヘンテコな部署だったんですね。

確かにある意味クルマ全体に関わる部署と言えなくもないですが、
生意気なことをいうボクに対する修行の意味もあったのかもしれませんし、
引き受け部署がないので仕方なくあてがわれたのかもしれません。

 

なんて昔話を書いていたら、かなり冗長な記事になってしまいましたので
そのヘンテコな部署については気が向いたらまた改めて記事にすることにして
今日はここまでとさせていただきますね。

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コメント

全員一緒に撮ったんでしたっけ?事業所ごとだったと思ってたけど、じゃあ写ってるのか(^_^;

投稿: ゆのじ | 2018-04-01 23:13

>ゆのじさん

ご指摘のとおりでした。
いやー思い込みで書いてしまいましたが
よく顔ぶれをみたら群馬製作所の人ばかりでしたorz

記事本文も訂正させていただきました。

投稿: JET | 2018-04-02 05:34

へんてこな部署の話、興味ありありです!
ぜひ、たっぷり書いてください。

投稿: よっさん | 2018-04-03 23:13

>よっさん

じらすつもりはないのですが、なかなか文章にするのが大変なんですよ。
どこからどこまでどんな構成で書くのかまとまらなくてね。
しばしお待ちを。

投稿: JET | 2018-04-04 05:59

あー、懐かしい話がいくつか。

いろいろありますが、私の入社当時の悲惨な状況からしたら羨ましい限りですね。本当に最初の5年はいつやめてやろうかと思ってましたから。

まあ、未だに会社にしがみついてますけどね(笑)

ホントに外面だけは良い会社なんだから、弊社は。

投稿: TOMO | 2018-04-04 22:19

>TOMOさん

まぁ会社なんてどこも似たようなもんだと諦観しつつも
ボクもいつでも辞めてやるぞと思い続けて30年以上も勤めちゃいましたね(笑)

投稿: JET | 2018-04-04 23:23

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