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数学に関する新書を2冊読みました

タイトルのように数学に関する新書を2冊読んでみました。

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左のは岩波新書の 「零の発見-数学の生い立ち-」 吉田洋一著です。
初版が1939年なので新しい書ではないですが…
確かブックオフで中古を購入しておいたものです。

右のはNHK出版新書の「インド数学の発想 IT大国の源流をたどる」 矢野道雄著です。
こちらは2011年発行なのでまぁ新しいとも古いとも言えないかな。
これも値札が貼ってあった跡があるのでブックオフで買ったものでしょうかね。

いずれの著者も数学を題材とするだけあって理系出身の方ですけれども
当然ながらこの本は数学そのものを取り扱った学問書でも参考書でもないので
著者自らがまえがきしているように極力数式などを排した読みものとなっています。

むしろ、数学に関する歴史やその伝播などに焦点があたっていたりするので
数学そのものの知識よりも世界史や世界地理の知識のバックグラウンドや
それらに対する興味がないと読んでいてわけが分からなくなることもあります。

まさにボクがこのタイプで世界史と地理を時空間として掌握できていないので
かなり読み進めるのに苦労しましたよ(汗)

 

零の発見(吉田洋一著)は中身は実は次の2つに分かれていて、
 零の発見 -アラビア数字の由来-
 直線を切る -連続の問題-
これらはまったく別々の独立した内容のものとなっています。

零の発見は巷の通説でインドで発見されたといわれていて
この本でもそうなっていますが、ではインドのどこの誰が
どんな考え方から発展して零の発見に至ったかについては
何か明確な結論なり主張なりがこの本の中にあるわけではありません。

ここで零と言っているのは単に何もないこと
例えば 5-5=0 とか、0,1,2,3,…の0(ゼロ)のことだけでなく
1018 とか、3.204 とか記する場合の0(ゼロ)も意味します。

0(ゼロ)という記号を使うことによって
1018などの位取り記数法が可能になりました。
一千十八などそれぞれの桁(位)を表す言葉を使わずに
その数字の書かれた位置が桁(位)を表すことが可能になったわけです。
それによって筆算が非常に容易になったというのです。

ちなみに日本では位取り記数法も筆算も明治維新を迎えるまで
まったく普及しなかったのですが、
これはそろばんの改良普及によって筆算より
そろばんが重宝されたからと推測されているそうです。

また、後半の 直線を切る というのは、
我々は“点”とは位置はあるが長さを持たないもの
“直線”とはその点と点をつないだ太さを持たない点が連なったもの
などと学校で定義を習ってそういう想定をするものだという前提を
なんの疑いもなく受け入れていますが
(数学嫌いの人はそういう想定をあまりに現実的に考えて混乱しちゃうのかも)
そこのところの古来の数学者たちの悪戦苦闘を書いたものです。

正直これを言葉で延々と書かれても読む気が失せてしまうのは
理系人間でも文系人間でも同じじゃないかなぁと思ってしまいました。

でも、例えばピタゴラスの定理で有名なピタゴラスでも
今でいう純粋な数学者ではなく密教の教祖みたいな存在であって、
ピタゴラスの定理のような明快な数学的に美しい定理を発見したが故に
逆に√2のような無理数=数学的に美しくない→宗教的に存在してはいけない
そんな存在に使徒全員で苦闘したというのが今となってはなんとも滑稽であります。

数学は商人の商いとして、土地などの区画など幾何学として、
そして暦としての天文学として発達してきた歴史がある一方で、
古代ギリシャでは哲学・宗教として何かの益となるような工学ではなく
ある意味純粋数学としての発展をみるわけですね。

ボクは理系人間ですけどやはり数学者向きでなく
ある程度無理なものは無理と割り切ることは出来ると思ってます。
なので、後半の方は完全に理解するのは無理と思って
適当に流し読みしました(笑)

 

さて、2冊目のインド数学の発想(矢野道雄著)ですが
IT大国のインドはどうしてIT大国になったのかに迫るというものですが
これまたそこに明確なインドは○○だから凄いんだなどという
結論や著者の主張があるわけではありません。

それどころか巷で言われるような
インドでは九九(くく)を99×99の段まで暗記するなどというのは
一部ではやっていてもすべての学校でやっているわけではないし
それをやったからといって数学に長けるようになるわけでも
ましてやIT技術者として有能になるわけでもないというところから始まります。

ヒントになるのは、古代インドでは文書で明文化するとか書物に書き残すことはせず
口伝を正式としていたことと算術なども独特の計算方法(=アルゴリズム)が
生み出されてそれらが口伝され記憶されていたということです。

口伝なので記憶するということが重要であるわけですが
それは単に99×99の九九を記憶するというだけでなく
色々な計算方法(=アルゴリズム)を記憶して
99×99の九九などを必要に応じて利用して素早く的確な解を得るという
そういう頭脳に長けている、そういう柔軟な考え方ができる
ということなのかもしれません。

ボクが小学生の頃に二桁同士の引き算を筆算でするのに
例えば81-47ならまず十の位から1借りてきて11-7=4
次に十の位で8-1(貸した1)-4=3で34の解を得るんですが、
ボクはまず10-7=3をやって(簡単に記憶できる)3+1=4で
一の位の数を計算していたんですよ。
誰かに教わったわけではなく自分で編み出したんですが
アルゴリズムとしては間違ってないわけです。

ですが、それが学校の先生にバレてなんと
親まで学校に呼びつけられて誰がこんなズルを教えたのかと大問題になりました。
まぁ先生としては自分の教えた通りにやらないのが気に食わなかったのでしょうが。

まぁこれなんかはインド式算術に比べれば非常に幼稚な話なんですが
アルゴリズムとして正しければ良しとする考えでないと
面白くないし発展もないですよね。

で、インド数学の発想の本の中身に戻りますが、
後半は暦と占星術の話に終始していてちょっと理解しにくくなっています。
インドではいまだに占星術が盛んで暦もその占星術をするためのもの
天文学も暦を定めるために必要なものとして発展してきたという
歴史があるのでしょうが、正直それほど占星術に興味を持てませんでした。

まぁインドの風習や習慣を理解するにはひとつの知識として良いかもしれないです。

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